大晦日

30日に横浜に帰省するなり近隣のラーメンを食べに繰り出し、大晦日は洋食屋のスパゲティを食べることを目的として坊やと西口から伊勢佐木町界隈まで歩く。この生き物は今やだいたい食いものを動機として動くものとなっているのだけれど、みなとみらい周辺の開発状況も確認して月日の流れるを知る。
夜は同級生の渋谷くんが制作統括を務めたという紅白歌合戦を律儀に視聴して、近年の紅白的な記号を残しつつ歌曲を中心に正統の歌番組として穏当な構成を実現したバランスに感心する。贔屓目抜きでよく出来ていたのではあるまいか。男女の別への拘らなさが周到に配されていたのにも戦略的な布石の意図を感じるし、NHKアナウンサー司会の存在が「訂正とお詫び」にこそ必要なのだということがわかるハプニングがあったことさえ、全体の設計を感じさせることに寄与していたと思うのである。

ラスト・デイズ

『ラスト・デイズ』を観る。2013年のスペイン製のパニック映画。ある日突然、人類が屋外に出られなくなったことによって文明が崩壊していく世界で、生き残りの男が地下道を伝いに婚約者を探し求めるというストーリーがすすむ。状況設定は『バード・ボックス』とよく似ており、災厄の原因がよくわからないところも同じで、恐らくは『バード・ボックス』がこれを参照しているのではないか。バルセロナを舞台にしたサバイバルは見せ場もそれほどあるというわけではないけれど、出来るだけコストをかけずに文明の終焉を表現するという制作上の都合からこうした状況が採用されているという事情が透けるようなところもない。実際のところ閉鎖状況に必然性をもたらすアイディアとしては秀逸で、世界の終わりを扱ってスケールの問題が気にならないというのはそれだけで大したものだと思うのである。

2018年に観た映画のこと

この数年、年間を通すと150作品前後の映画を観るのを習慣としてきたけれど、2018年は100に満たず、量的側面からして自己啓蒙活動の退潮を自覚せざるを得ない。
NetflixとAmazon Primeを映画鑑賞の主軸に据えた1年でもあったのだが、電子書籍と同様、テクノロジーの手軽さが実際の視聴につながるかといえば実際にはそうなっていないというのも興味深い。26種類のジャムと6種類のジャムを陳列した店舗では6種類のジャムに絞ったほうが売れ行きがよくなるという話もあるけれど、まず何を観るかという選択の行為自体がハードルになるというのは何だかわかる。

バスターのバラード

しかしNetflixオリジナルの映画にはクオリティの高い作品が多くて、むしろハズレがないといってもいいくらい。わけてもコーエン兄弟の『バスターのバラード』は期待通りによく出来た西部劇で、ゾーイ=カザンの出演による加点はあるにして、その要素を割り引いても楽しめた。

人狼

『バスターのバラード』の上をいくのが『人狼』で、押井守のケルベロス・サーガの韓国映画界によるリイマジネーションというべき内容だけれど、『紅い眼鏡』や『ケルベロス』があらかじめ到達を諦めた境地を軽々と実現していて、まずはそれこそが彼我の実力の差というものだろう。ガン・アクションについていえば2018年のベストとしてもいいのだが、本邦の実写にまず欠けていたのがこの部分だったではないか。

スリー・ビルボード

中西部を舞台に、身内の死の文脈を究明しようとして共同体に阻まれるというテーマでは『ウィンターズ・ボーン』という秀れた映画があったけれど、この作品も役者の素晴らしい仕事によって、それに比肩するものになっている。ウディ=ハレルソンを、ちょっとコクのあるジェイソン=ステイサムと認識する人間も最早ないに違いないが、それどころかかなり重要な俳優になっていると認識を改めたものである。いや、それは『ディフェンドー』の頃から明らかだったとはいえ。

ペンタゴン・ペーパーズ

スピルバーグが昨今の政治の状況を憂慮して1年足らずの製作期間で世に問うたという背景事情だけでも熱くなるわけだが、メッセージそのものは米国に限らず、むしろ本邦において死にかけているジャーナリズムに檄を飛ばすものと思ったものである。

新感染 ファイナル・エクスプレス

韓国映画は『犯罪都市』も面白かったけれど、同じくマ=ドンソクが出演していた『新感染 ファイナル・エクスプレス』は閉鎖状況におけるゾンビものというジャンル映画としての完成度もさることながら、釜山橋頭堡への潰走という物語構造だけでご飯三杯はいける。

獣道、勝手にふるえてろ

『獣になれない私たち』の松任谷以前、『獣道』の主人公 愛衣を演じてその天才性は証明されているのだけれど、2018年はまず伊藤沙莉の年として記憶されることになるだろう。
そして松岡茉優の初の主演映画となった『勝手にふるえてろ』は正月早々、映画館で観たのだけれど、この人もどんどんその芸域を広げ既に名声を確立し、つまり『その「おこだわり」、私にもくれよ!!』の二人がそれぞれに台頭した年となったのは慶賀すべきでまことに感慨深い。

バーフバリ2 王の凱旋

『バーフバリ2』を観る。『伝説の誕生』から地続きの続編となっていて、マヒシュマティ王戴冠とバーフバリを襲う陰謀の顛末が語られる。例によって表現は自在で、ついには船までも空を飛ぶとは。今回は打って変わって本格的な王宮陰謀もののつくりだけれど、スペクタルも割増で映像的にも観るべきところが多い。饒舌な音楽も健在だし、140分のラスト3分を切るところまで決着がつかない、みっしりとしたつくりにはやはり感心するしかない。

バーフバリ 伝説の誕生

『バーフバリ』を観る。典型的な貴種流離のエピソードに始まる伝説の王バーフバリの物語は138分の本編を以って漸く半ばなのだけれど、VFXをフルに使ったダイナミックな画面と委細に拘らず勢いで進むストーリーはダレ場がなく飽きない。時にCivilizationみたいにも見えるCGだけれど、全体に色彩設定が華やかで、むしろこの絢爛な世界観に合っている。ストップモーションの多用と大胆な構図にはインド映画の独自性が窺えて、全編が整髪料のCMみたいに濃い味つけなのだけれど確かにクセになる。実質的な輪廻転生というのも西洋では扱われない題材だと思うのである。

恋は雨上がりのように

『恋は雨上がりのように』を観る。主人公 橘あきらのドリフト走りというアニメ的な動きをオープニングタイトルからきちんと表現してきたあたりは非常に好感が持てるし、その再現度は高くまず感心する。それをいうなら小松菜奈による実写化を観た後、余人によるキャスティングは考えられないであろう。良い。

言ってしまえばフィクションとしての物語的な起伏は最小限のこのストーリーだけれど、店長 近藤と彼が複雑な思いを抱く友人の作家 九条をからめ、あきらとはるかの友人関係に対置することで立体的な話になっている。うまい。

重要な雨のシーンも含め全体としてきちんとした画面になっていることには好感が持てるのだけれど、被写界深度の極端に浅い撮影は綺麗と言い難いボケと周辺歪曲のキツさが気になるし、フォーカスの合っていないカットすらあって、こればかりは感心しない。ポストプロダクションではもうどうにもならなかったということかもしれないが、今どきの大画面でこれはまずいのではないか。

テーマ曲の『フロントメモリー』は亀田誠治による編曲で、オリジナルよりもドライブ感があり、さすが。ラストシーンの小松菜奈は女優としてほとんど一世一代の仕事をしていると思うけれど、これを受けてエンディングを盛り上げている。

グレイテスト・ショーマン

『グレイテスト・ショーマン』を観る。近代サーカスの生みの親 P=T・バーナムをモデルにしたミュージカル映画。もともとヒュー=ジャックマンはミュージカル分野でも一流のひとだけれど、その存在感とキレのある動きが画面によく映えて、よく作り込まれた美術と相まって非常に見応えのあるものになっている。
バーナムのサーカスはどちらかといえば『バスターのバラード』のリーアム=ニーソンのエピソードのおぞましさに近いだろうと思うけど、”a celebration of humanity”というコンセプトで再構築されたストーリーはバーナムの欺瞞も描くことでバランスをとっており不愉快でない。実在の人物に材を取ったファンタジーとしては十分アリだと思うのである。