久しぶりに山梨まで買い物に出かける。甲府昭和のイオンモール周辺は、もとから公的交通機関での太いアクセスがある感じではないのだけれど、日曜日の昼近くには巨大な駐車場が満杯となり、一方で付近の店の生存率はかなり低いと見受けられて、全てをイオンモールが呑み込んでいく典型的な地方都市の有り様となっている。もちろんこちらもKALDIでコーヒーを買い込む典型的なイオン民となっているわけだが、他に行くところはないのかと問えば、ないという返答が返ってきそうな気がしなくもない。
Month: March 2019
響-HIBIKI-
『響-HIBIKI-』を観る。欅坂46の平手友梨奈が主演した映画で、原作のマンガは『響~小説家になる方法~』というタイトルだけれど、主人公の個性と平手友梨奈の天才的なイメージをうまくダブらせたつくりで、いわゆるアイドル映画と異なるところがなかなかうまい。断っておくが平手友梨奈は好きである。
才能を持つものが周囲に軋轢を生じつつ世に出ていくというストーリーの映画は多いとして、主人公がメンタル無敵という厨二設定が特徴で、そういう点では共感の物語ではなく、やはり偶像を崇拝しようという心掛けで観るべきであろう。感心したのは柳楽優弥の贅沢な使い方で、小栗旬に至っては邂逅にあたって名前すら呼んでもらえない扱いだがバランスは案外、悪くない。脚本の手柄だと思うのである。
巨大システム 失敗の本質
『巨大システム 失敗の本質』を読む。『失敗の本質』といえば「日本軍の組織論的研究」があまりにも有名だけれど、こちらはシステム論的にfiascoというべき大災害がどのように起こるかを複雑さと結合の観点から整理した好著。翻訳は2018年12月の発行なので挙げられている事例も新しめで興味深い。本家『失敗の本質』とはだいぶアプローチが異なるけれど、そもそもシステム思考と抽象化の欠落が壊滅的な失敗をもたらすとすれば本邦のアナリシスに足りない何ものかを示唆しているような気がしなくもない。
帰ろう
福豆のことを考えると暖かくなる。四人の兄弟のなかでは一番大きくて控えめ、我慢強いけれど、群れのリーダーとしての挟持を崩さず、少し頑固に映るときもあるけれど優しい。優しい。
一週間入院しても体調が悪くなった原因はよくわからず、薬を変えたその日はとても調子が悪くなって、病院の、上から二番目のケージのなかに横たわっていた。そこで死んでしまうのではないかと思ったけれど、しばらくしてやおら立ち上がったときの踏みしめるような四肢の姿はいっそ神々しく、跪いたこちらを睥睨して「帰るぞ」と言ったような気がした。古代のひとたちが、四肢の生きものを神の使いと見立てたことさえ、その気持がわかると思う。
だから退院してさいごの二週間を家で過ごしたことは後悔していない。
前の週末、最後の散歩をした。リードをつけずに歩いたことはそれまでなかったことに思い至ってそのことが切なくなったけれど、歩みはいつもと変わらなくて、そういえばリードなんかはじめからないみたいにひとりで行くのが福豆なのだ。11年間、幾度となく歩いた散歩コースを遠くまで行って、ゆるやかな坂道を抱えて戻ってくるとき、ずっとその名前を呼んでいた。この地ではまだ少し遠い春を先取りしたような暖かな日暮れどきで、残酷な自然にも心の底から感謝したくなる瞬間がある。
僕たちはみんな同じ下りの船に乗っている。遅かれ早かれ、また会おう。その時はまた一緒に散歩しよう。
15
Ulyssesがアップデートしてバージョン15になったけれど、あまり大きな変更はない様子で安定稼働している。まず正常進化の方向にあるとみえよろしいのではないだろうか。
早起きは
京都観光の満足度をあげたければ早起きすべしというWeb記事を見かけたのだけれど、これは圧倒的に的を射ているので賛同するほかない。清水寺は6時から開門しているのだけれど、一角でラジオ体操をしているだけという境内は昼の喧騒とは別の世界で、八坂の塔あたりに下っていくにしてもまず行きあう人がいない異界の雰囲気は格別。
穴
原発事故の廃炉費用が20兆円から80兆円の見通しに膨れ上がっているという報道は、より納得感があるという意味で説得力があるけれど、国家予算程度の規模で収束できるのかと考えればまだ底ではないのではないかという疑いもある。いずれにせよ社会資本の効率を根底から歪めるに十分な規模の大きさであることは確かで、結果、衰退したこの国の未来にわたる愚行として歴史に刻まれるだろう。いうまでもなく。