単純にマウスを買い換えるのもつまらないと思って使い始めたLogiのトラックボールマウスだけれど、最近では通常マウスに戻ることができないほど馴染んでいて、むしろ比較的にはマイナーなデバイスにとどまっているのは何故か不思議でならない。ポインタの速度を速めに設定すると特に使い勝手がいい。
とはいえ、今のところ家のMacでは、Magic Mouse 2とMagic Tackpad 2を運用しているので、この再投資を実施するか悩んでいる。
単純にマウスを買い換えるのもつまらないと思って使い始めたLogiのトラックボールマウスだけれど、最近では通常マウスに戻ることができないほど馴染んでいて、むしろ比較的にはマイナーなデバイスにとどまっているのは何故か不思議でならない。ポインタの速度を速めに設定すると特に使い勝手がいい。
とはいえ、今のところ家のMacでは、Magic Mouse 2とMagic Tackpad 2を運用しているので、この再投資を実施するか悩んでいる。
時代が時代ならそろそろ引退して旅に出ることにしてもいい頃合いだと思うのだけれど、渡世の事情がそれを許さないので、最近見つけた写真家の近藤大真とそのパートナーが日本一周を目指して旅をしているYouTubeの動画配信を眺めている。明るめの写真自体も好きだけれど、隔日配信のリアルタイム性があって目が離せない。羨ましい。
たとえば老眼が発現すると自身の衰えに愕然とするわけだけれど、騙し騙し肉体を運用する術も覚え、いよいよ半世紀を生きたことになったその日、過去の負債をすっかり忘れていたことを突きつけられ往生する夢をみて、そのディテールに慄く。飲み屋の支払いを怠っていたというリアルな夢がいったいどうして展開されることになったのかはわからないのだが、今があるのは覚えのない恩によるものだということを忘れるなという無意識の警告には違いない。多謝。
最近のアップデートでOffice for Macの新しいアイコンがロールアウトされてなかなか気に入っている。「文書を活気づかせる」新機能では、3Dモデルを挿入することはできるのだけれど、どうやらアニメーション3DモデルはWindows版だけの提供らしくて、暴れ回るティラノザウルスは未だ試すことが出来ずにいる。あまり残念な感じはないにして。
『ボーダーライン ソルジャーズ・デイ』を観る。エミリー=ブラントがFBIの捜査官を演じた一作目でも対麻薬戦争を推し進める役回りだったジョシュ=ブローリンとベニチオ=デル・トロによるスピンアウトともいえる続編で、監督もドゥニ=ヴィルヌーヴではなくなっているけれど、スケールダウンはあまり感じさせず、むしろこれから話を広げていこうという意欲が垣間見える展開で、何しろかなりオープンな結末なので「このルール無き戦いに、終わりはあるのか」という惹句にも煽られている印象が強い。さらなる続編に続く。
とはいえ、ストーリーは『今そこにある危機』の現代的翻案というべき内容で、車列襲撃シーンも充実しているので楽しめる。一方、カルテルとの戦争の契機になる事件が実は合衆国国民によるテロだったというあたりにバランスは感じるにして、メキシコ国境の緊張を描くということ自体の政治的な意味合いは1990年代とは大きく異なっている。そして、国境の警備が厳しくなれば禁制品の価値が上がってカルテルが喜ぶというセリフがあったけれど、してみるとトランプと麻薬組織の利害は一致しているのだとも思ったことである。
東宝が関わっているオーディションプロジェクトがあって、応募作品をYouTubeのチャンネルで公開するという趣向なのだけれど、第一回目のテーマである『ゴジラ』を題材にした自主制作映像がいろいろアップロードされていて、ついつい観ている。4月上旬となっている入賞作品の発表はまだみたいだけれど、どれもそれなりのアイディアと熱量があって面白い。
何故かこのタイミングで発表されたけれど、導入されるのはまだだいぶ先のことになる新紙幣に使われた津田梅子の肖像が、左右を反転してデザインされているという問題は、まさか単純な裏焼きではあるまいと思ったけれど、左右を入れ替えた上、着衣は右前になるように修正されているという手が込んだ話で、図らずもこの政権の体質を象徴的に現す事案となっていて面白い。どこかの職人が諷したのではないかとすら思えて、このまま採用すればよいのではないか。
無論、デザインや出版の業界では裏焼きといえば問答無用で忌避されるものだけれど、右と左を取り違えるのは間違いだという基本的な了解があってのことである。これを問題ないという人間とはそもそも話ができないが、官房長官の記者会見はその教養と常識の無さを露呈して、越えられないバカの壁を改めて意識させるし、そもそも事実を重視しないという政権の体質を如実に表している。
裏焼きで気になるのは左前だけれど、言うまでもなく左前という言葉には経済的に落ち目になるという意味もあって、これを右前に修正して糊塗しようというのは政府が経済統計でやっていることと同じで、笑うに笑えないというものではないか。