推し、燃ゆ

宇佐美りん『推し、燃ゆ』を読む。ルシア=ベルリンの小説をつい想起してしまうのは、名前が韻を踏んでいるからばかりではなく、文章によるモンタージュの印象が似ているからだと思う。切れ味のいい文章は流れるように読めるのだけれど、主人公の抱える問題が炙り出されるバイト先の場面の構築には感心する。

全体に言葉の感覚は研ぎ上げられている。スマートフォンは「携帯」と表記されていて、それについてはやや違和感があったのだけれど、そういえばしっくりくる言葉を思いつかない。日常ではiPhoneと言うけれど、これを置き換える一般名詞の持ち合わせがないようである。

この日、尼崎市の全住民の個人情報が格納されたUSBを、飲酒して寝込んだ外注先の協力会社の社員が紛失したというニュースが流れ、その会見でパスワードの桁数とそれが英数字の組み合わせであることが開示されるという、本邦のデジタルトランスフォーメーションの現在地を指し示す一連の事件が起きる。パスワードは年に一回更新されていたという駄目押しの自供を踏まえて、Amagasaki2022であるに違いないという指摘には笑ったが、この一幕では久しぶりにネットの集合知を見た気がしたものである。この大喜利のどこかに事実は潜んでいるだろう。