『自由の命運』を読んでいると、国家と社会のせめぎ合いが作る、ごく狭い回廊に位置する社会だけが自由の果実を享受することができるという枠組みに首肯することも度々だが、実に豊富に挙げられた失敗国家の事例は、ひょっとすると日本がそうであるかもしれない状況をよく説明する。そして政治の様子をみるにつけ、専横と不在の悪い側面を両取りして、国家のふりをした何ものかに転落しつつあるということではなかろうか。
結局のところその凋落は占領統治の終了に端を発し、統治者の影が薄れるにつれ張り子の国家の実際が露出したに過ぎないということであれば、南米やアフリカの苦境とさして変わらず、何より経済成長が存在しないという事実がこれに符合して心胆を寒からしめる。これはまぁ、そういうことである。