劉慈欣の『超新星紀元』をようやく読み終えたのだが、何となく手こずっていたのには理由があって、この作家の特徴的な、どこかグロテスクな状況設定が、特に南極での戦争ゲームのくだりではどうしてこれを書きたいと思ったのかよく分からないくらいに物語を支配していて、何だか疲れてしまったのである。『三体』はあれでも、だいぶ洗練された結果なのだ。結末近くもだいぶ急いだ感じがあって、どこか習作という感じがする。2000年前後の中国で生まれた物語ということであれば、何か寓意が込められた結果なのだろうかと考えてみたのだが、そういうものでもないみたい。
風呂掃除のさなか、腰の側部に痛みが走り、いやこれはぎっくり腰の一形態だと突然、理解する。あわわ。