伊澤里江『黒い海 船は突然、深海へ消えた』を読む。2023年の大宅壮一ノンフィクション賞を受賞した本作は、2008年に起きた不可解な漁船の沈没事故と、生き残りの乗組員の証言と矛盾する事故報告書をまとめた運輸安全委員会の動きに取材して、事件の真相に迫ろうとする。
海の『エルピス』の評もある内容は非常にスリリングで、その後の東日本大震災と福島第一原子力発電所の事故によっても大きく人生の航路を狂わされた人々の証言を記録に留めようとする筆者の志は気高い。一方で、通底する国家の不作為と官僚機構の事実への冷淡さはディストピア小説に登場する類型のようで、しかし実際であろうだけに愕然とするのである。概ね1年をめどに提出されるべき事故報告書が、3年後、東日本大震災のひと月あと、当事者が大混乱にあるそのさなかに出されたという事実ひとつがさまざまなことを物語るが、掘り起こされた文脈が炙り出していくのはひとつの推定事実で、たしかにその蓋然性は高いように思われる。
この国における事実の軽視は、さきの戦前と同じ状況にあるようだ。現実に対しては素人でしかない行政官が、繁殖の過程で無責任な政治と結託した結果、優秀な官僚機構という幻想は過去のものとなった。黒塗りの開示文書は政治の圧力によるものというより、責任回避のための自主的な役人仕草であるというのは、もとより想像に難くなく、この国はいよいよ「張り子のリヴァイアサン」と化して、事実は自由とともに扼殺される運命にある。