Netflixで『パレード』を観る。冒頭から大震災の場面が続き、あらゆるものがあらかじめ失われている世界の描写が続く。主人公の長澤まさみは坂口健太郎に連れて行かれた不思議な待合で、自身が死んでしまったことを知らされる。場面はたびたび、震災直後の避難所に戻るが、その描写はどうにもリアルでやりきれない。それぞれの登場人物がどんな未練を残して亡くなったかを解明していく物語であれば、それも当然として。
まず、横浜流星という役者は顔立ちが整い過ぎているがゆえに損をしているところがあって、早逝した若頭の役回りからは、ずいぶんと達者な役者であることがわかると思うのである。なんかかっこいい。
この話はどこへ向かうのだろうと思わせつつ案外、物語的な結末が用意されているのだけれど、震災の記憶を重ねて引用する意味はあったのだろうかという気はする。