もともと買うつもりではいたけれど、西呑屋おかみが奥付に名を連ねている『ブラタモリ』書籍の1巻と2巻を首尾よく手に入れる。初回は番組アイコンによる特製ステッカーが付いていて、ブランド化も着々という感じ。手元に置いて眺めるだけで楽しいので、もちろんファンとしては欠かさず買うつもり。ついでに崖長の『京都の凸凹を歩く』も買い求めて京都学習に余念なく、こちらも独特の切り口が新鮮でなかなか面白い。
本
オリガ・モリソヴナの反語法
米原万里の『オリガ・モリソヴナの反語法』を読んでいるのだけれど、チェコのソビエト学校で学んだ著者の実体験をもとにして、スターリン時代のドラマに遡っていく謎解きはとても面白い。
物語の核には当たり前のように、NKVDによる一般市民の監視と粛清が引き起こす悲劇があるのだが、様子は『チャイルド44』で描かれている秘密警察の振る舞いと違わず、もちろん参照している資料の類似もあるのだろうけれど、書きぶりの全く異なる二人の著者から立ち上がる人間の悪の凡庸さに震撼したのである。失敗には多様性がないというけれど、人がなし得る悪もまたそのようである。
米原万里が遺した小説はこれだけのようだけれど、内蔵された歴史性は滅多に見ないもので、その才は十分にうかがうことができる。
パンドラの少女(読了)
最近の小説である『パンドラの少女』にどこか懐かしい匂いを感じるのは何故なのかということを考えていた。劇中で「飢えた奴ら」と呼ばれるゾンビの性質は、ブードゥー的な死者の復活というわけではなく『28日後…』風の感染型の高速移動タイプだし、これをあたかも生物兵器として利用する無法者集団は『マッドマックス』を思わせる振る舞いで、近年のメジャーな先行作品の影響下にあることを色濃く感じさせる創作であるだけに、それは一層、不思議なのである。
ストーリーはこの感染の原因を究明しようとする冷酷な科学者の振る舞いに縦軸があって、そういえばゾンビ化の理由を解明しようとする動機をもった物語を読んだことがあまりなかったということに思い至る。あの長大な『World War Z』ですら、ゾンビは既にそこにあり、ある種の運命として襲来するものであり、これを解明しようというエピソードはなかったのではあるまいか。
たとえば『アイアムアヒーロー』には科学者も軍隊も登場せず、何が起こっているのかさえ定かではない『ドラゴンヘッド』的な終末が描かれているけれど、軍事はあっても科学者には出番がないというのが最近の気分ではなかったか。科学技術の多くが既に失われた世界を描きながら、探究が重要な動機として物語を駆動するという点で『パンドラの少女』はどこか古典SFを想起させるところがある。であるにもかかわらず、しかし現代文明の残滓には希望を託さないところが21世紀の黙示であろう。
実はレトロな感覚を励起するところは他にもあって、この本のタイトル、そして装丁の組み合わせは、ジャンルが全く異なるにもかかわらず、どこかジャック=ケッチャムの本邦の出版を想起させるように設計されているけれど、読後感を踏まえればその意図はよくわかる。
パンドラの少女
M=R・ケアリーの小説『パンドラの少女』を読み始めている。本日発売という新刊なので評判もよく分からないのだけれど、「奇病の爆発的な蔓延〈大崩壊〉から二十年。人間としての精神を失い、捕食本能に支配された〈餓えた奴ら〉により、文明世界は完全に崩壊していた――」というかなりそれっぽい惹句に手もなく引っかかるという感じで、何しろアポカリプスとゾンビには弱い。
今のところ、殺伐とした『わたしを離さないで』みたいな話が進んでいて、世界はいよいよ異様な断面を示しつつある。
ヴァンパイヤー戦争
ほぼ30年ぶり、というフレーズをたびたび使うようになってしまったけれど、笠井潔の『ヴァンパイヤー戦争』を読んでいる。このあたりは今となってはたびたび読み返すというわけではないけれど、矢吹駆が平井和正世界で活躍するという二次創作的なヨロコビがあるこの作品は結構、好きなのである。読み易いし、さほど古臭さを感じさせない小説ではあるけれど、ソ連が元気だったころの話ではあって、ここにある東西価値観ばかりはひどく懐かしい。
フィフス・ウェイブ
人類が滅びる物語が隠しようもなく好きなのだけれど、『フィフス・ウェイブ』は『ハンガー・ゲーム』の系統という認識があって、いずれ映画は観ることになるとして、わざわざ小説を読むつもりはなかったのである。ほんの出来心ということで。
映画のトレイラーだと日常の崩壊から描かれるようにもみえるのだけれど、物語の始まりは滅亡の第4段階にあって、大がかりなところはかなりあっさりと回想されるだけであり、税抜1,200円の大冊の半分を過ぎたあたりでも話の方はたいして進んでいないので、ちょっとしまったと思っている。三部作になるというこれは、やはり近頃のヤングアダルト向け小説で流行っているディストピアものの一変奏で、それ以上のものではないみたい。
並行して公開されている映画のトレイラーをみると主要なシーンでは結構、忠実な映像化がされているとみえて、こちらとしても脳内ヒロインはクロエ=グレース・モレッツ以外、考えられなくなっている。
絶滅星群の伝説
清水義範といえばパスティーシュ小説で一世を風靡した感がある小説家だけれど、こちらとして印象に残っているのは1970年代の終わり、ソノラマ文庫から出ていた小説で、『エスパー少年』も好きだったけれど、宇宙史シリーズという連作の、ことに『絶滅星群の伝説』は宇宙レベルにスケールアップした正統なパンデミックもので、ジュブナイルとして括るには勿体ないという他ない出来。2000年頃に、これもハルキ文庫から再版されたことがあったらしいけれど、今こそKindleで出版してくれまいかと思いつつ、久しぶりに文庫を読み返している。