愛国者のゲーム

トム=クランシーも『恐怖の総和』ぐらいまでは結構好きだったのだけれど、久しぶりに『愛国者のゲーム』を読み返して、このストーリーが何だって上下分冊になっているのかを思い知る。冒頭、事件が起きてジャック=ライアンが退院するまでで150ページほどもあるのだから、長くなるのも当然だし、そう考えると『恐怖の総和』がよくあの程度で完結したと思えるくらい。

コンタクト

カール=セーガンの『コンタクト』を30年近く経て再び読んでいる。小説としての完成度はかなりのもので、オースン=スコットカードによる『アビス』のノベライズを思い出したのだけれど、天文学者であると同時に作家でもあったこの人の才能に感嘆している。

地球0年

Kindleで復刊された矢野徹の『地球0年』を読む。核戦争で米中ソが甚大な被害を受け日本も首都東京が壊滅した世界で、自衛隊がアメリカ西海岸まで出かけて治安維持活動を行うという、架空戦記物のハシリのような話だが、もとは1960年代の刊行なので今となってはアナクロというほかない世界観で、東宝の『世界大戦争』とラリイ=ニーヴンの『悪魔のハンマー』を合わせて、西村寿行か永井豪かというバイオレンスで味つけした感じ。人間のOSもだいぶ古いバージョンみたいなのだけれど、往時の感性を知るという点ではなかなか新鮮なものがあり、あっという間に読み終える。

昭和な街角

何が起きても不思議ではない世の中だけれど、火浦功の新刊が出ると噂には聞いていて、竹本泉のイラストによる装丁を確認してなお疑心暗鬼ではあったものの、あけてみると四半世紀前に発表された短編の再収録であって、ああやっぱりと思いつつ、どこか残念という気持ちもないわけではない。同じく四半世紀という時間軸で完結した田中芳樹の『タイタニア』については今さら読むという感じでもないから、いろいろ複雑な心境であるとはいえ。

食通知ったかぶり

丸谷才一といえば当方にとっては『ボートの三人男』の訳者であり、旧仮名遣いの独特な文章に慣れ親しんでいるというわけではないけれど、Kindleで安くなっていた『食通知ったかぶり』を何となく買い込んで、少しずつ読み進めている。これが結構、面白い。1970年代に『文藝春秋』に連載されたエッセイをまとめたもので、基本的には文壇で聞き及んだ日本各地の美味いと評判の店を訪れ、なんであれ甘口の酒をこきおろしつつ、しかし料理には感嘆して美味しくいただくというフォーマットで、基本的に美味いものを美味いというだけではあるし、文章も半分は食材の羅列だったとして、筆者の妄想は料理の成立に遡る時間軸と空間的な広がりをもち諧謔に富んだもので滋味に満ちている。何しろ名店が多いので、今調べても行くことができる店が多いのだが、作者の当時の体験に及ぶ味が期待できるかについてはちょっと怪しいと思ったほどである。

ku:nel

『ku:nel』のリニューアルがえらく不評だと聞いて、わざわざAmazonのレビューを確認するのも相当ヒマと言わなければならないが、☆ひとつの圧倒的な偏差はある意味で見ものであり、この強烈な拒絶反応は何なのかを考えるのは楽しい。
淀川編集長による今回のリニューアルは、そのターゲットをかつてのオリーブ少女に絞ったものだという話だけれど、かつて『ku:nel』を好み、最近では『暮しの手帖』を定期的に読んでいるこちらのような例には敷居が高い。
「食う、寝る暮らし」のコンセプトがいつの間にかサブカルチャーに寄っていったのが、小洒落た名前の為すところだったとすると『暮しの手帖』はその名前により孤高を保つであろう。

チャイルド44

いうまでもなく、評判のよい小説を読み漏らしていることはままあり、トム=ロブ・スミスの『チャイルド44』もそのひとつで今頃、読み始めている。1950年代のソビエト連邦で、主人公となる捜査官の内的ロジックはもちろん現代的に民主化などされておらず、10人の無実の人間を苦しめるよりも一人の反逆者を逃すほうが罪深いという内なる声は意表をついて、価値観というものの相対性を突きつけてくる点で啓蒙的な側面すらあり、なかなかに展開が楽しみな感じ。