またまた研修で夜、東京から帰宅。シャロン=バーチェ・マグレイン『異端の統計学 ベイズ』を読んでいる。ベイスの定理をめぐる異様に稠密な人間模様と、制圧的な頻度主義との論争を書き連ね、それはそれで面白いのだけれど、ベイズ推定の基本的なところを迂回している印象もあって、なんだかバランスの悪さを感じなくもない。しかし、とにかくよく調べたものである。読み物としては面白い。
本
民族浄化
というわけで『鵼の碑』を読み終える。17年ぶりの新刊だろうが、作中の時間では『姑獲鳥の夏』から2、3年というスパンでの話なので、むしろ実時間の経過が解せない。既にあった原稿が単に出版されていなかっただけではないかというくらいに地続きの印象で、文体にも揺らぎというものがない。予告の次回作がいつの刊行になるのかに関心は移っている。
ガザの人道回廊の設置にイスラエルが合意したという話が報じられる。境界付近には地上戦の開始を待つ部隊が集結しつつあるというとこだが、それを待ち構える大部隊は存在しないのである。
鵼の碑
発売日に入手していた『鵼の碑』が、いっこうに捗っていなかったのだけれど、この週末に一気に進捗して残りわずか。百鬼夜行シリーズで深まってきた構造が踏襲されていて、登場人物の物語が次々、交錯する後半は、これこれという感じになっている。大向こうから掛け声もあろうかという展開で、ここまでくると止まらない。
On War
故あってクラウゼヴィッツの『戦争論』を読み返している。もちろん、この本を習慣的に読むなどということはないのだが、たしか熱に浮かされたような学生の時代、ただ興味があったからという正しい動機にもとづいて、やはり中公文庫あたりを買い求めて読んだ記憶がある。それを再び紐解こうということになろうとは。
鵼の碑
ようやく『鵼の碑』に着手したのだけれど、講談社ノベルス自体、ほとんど17年ぶりに読むのではないかという感じもあって、分厚くて小さな字の読書に過ぎた時の永さを知る。いや、紙の本で読むべきという考えはあるのだが、体がついていかない。
この日は引き続き、夏の陽気で日中の気温は30度を越す。これまでなかった気候であるのは違いない。
鈍器
今週は週の半分ぐらいが出張で、東京を行ったり来たりという感じなのだけれど、コロナ第9波は収束することなくひょっとしたらこのまま冬まで行くのではないかという時間帯にあって人々の行動変容はほぼ観測されない。ちょっとした社会実験の様相を呈している。この状況を何らかの観測手段で捉えることが出来ていたら、たとえばそれが下水モニタリングのような手法でも役に立ったはずだが、何もかも見て見ぬふりで本当に何もしないという本邦にあっては、この機会さえ仮説検証の用にはならないのである。
この日、Amazonからかねて予約の『鵼の碑』が届くが、ちょうど出張に出るタイミングで普段であれば鞄にそれを押し込むところ、何しろ講談社ノベルス版であってもブロックのような形状なのでスペースがなく、泣く泣く諦める。新書の帯には例によって次回作の予告タイトルが掲載されていて、これには驚いたのだけれど、しかしまた17年後を刮目して待て、と言われても困る。
史上最大の作戦
コーネリアス=ライアンの『史上最大の作戦』を読む。もちろん原著のタイトルは『The Longest Day』で映画の原作にもなっているけれど、これまで未読。ロンメルが司令部をおくラ・ロッシュ=ギュイヨンの村に始まる本作は、ノンフィクションというにはあまりにもドラマチックで、読みやすい。「私の敵はただ一つ、それは時間だ」というのがロンメルの口癖だったというくだりから、
上陸作戦の最初の二四時間がすべてを決するだろう。ドイツの運命はその結果如何によって決まる。連合軍にとっても、われわれにとっても、この日こそは最も長い一日となるだろう
と、砂浜で副官のラングに言う冒頭部分は、いや、ほんとかよと突っ込みたくなるぐらい劇的で面白い。確かに、ジョン=ウェインが出てきても不思議のない雰囲気なのである。そして妻の誕生日に、ロンメルが前線を離れていたその日がD-Dayとなった歴史の数奇よ。