3月のライオン

『3月のライオン』の17巻を読む。発売日に紙の本を買って読む漫画というのは既にこれだけとなっていて、何となれば1巻を買った頃は電子書籍が今日ほど普及していなかったのだと思うのである。時代は流れ、現実の棋界にはフィクションを上回る天才ぶりで君臨する棋士がいるわけだけれど、安定の世界観で安心して読める。この雰囲気なら限りなく物語を編むことができそうである。

あとがきでは不思議な縁によって新たに飼うこととなったネコの話が描かれていて、いや、縁というのは、そういうものであろう。

日本の南方では台風11号が発生して沖縄近海を目指す。今年は29個の台風が発生するという話もあるから、道半ばどころではない。

ハヤブサ消防団

中村倫也が主演のテレビドラマは直近の第4話まで観ているのだけれど、そのヒキが気になって原作の小説を読む。池井戸潤の小説は初めてである。ドラマは原作をかなり忠実になぞっている様子ではあるけれど、テレビ的な脚色がうまく施されているようである。話自体は、まぁ、ふーんという感じ。

行動経済学の逆襲

リチャード=セイラーの『行動経済学の逆襲』を読んでいる。ノーベル経済学賞を受賞した著者の本であれば、自身が一定の権威であるに違いないのだが、効率的市場仮説が広く前提として認められていた時代に遡って語られる年代記の印象があって、その主流派との論争の歴史は面白い。パラダイムのぶつかり合いといえば、その違いが際立っているだけあってわかりやすいのである。仮説とその名にもつ考え方を、不動の原理であるかのように考えてしまう人たちの主張そのものが、予想通りに不合理である人間の生態をよく示して面白い。

超予測力

『超予測力』を読む。これもハヤカワのNFで、ちょっと煽りの入ったタイトルではあるけれど、問題を分解して手に負えない事柄は扱わず、実績の評価をしながら予測を行う科学的な手法の有効性と限界を説いた内容で全く常識的。その教義に至るまでの前振りが長くて、ちょっと笑ってしまう。読み物としての体裁をよく心得ているのである。それも含めて十分、面白いし、この不確かな世界を生きていくのに、科学の方法のなんと心強いことか。

この日、官房長官は記者会見で新型コロナウイルスの感染拡大に先手で対応すると述べたという。これほどの厚顔であれば、国土が焦土と化してなお、大勝利を宣言することさえするだろうが、収奪的な政府が試みているのは国民から言葉を奪い、無力感を植え付けることなのである。

あなたの知らない脳

『あなたの知らない脳』を読む。ハヤカワ・ノンフィクション文庫は好きである。ラマチャンドランの『脳のなかの幽霊』から時を経て、受動意識仮説の世界観はさらに深まっている印象。人体のサブシステムを統合するのが脳であり、意識はその一部に過ぎないというのは今や疑うところのない話だろうし、一方で還元主義的な立場を拒否する著者の主張はよいバランスにあると思える。面白い。

災害において無策で、あらゆる機会をとらえて中抜きの金を落とすこの国の政府の最近のテーマは増税で、さすがにこの収奪的な政府がまともに機能するなどとは期待するほうがおかしい。再分配の機能を正常化するという一点で、次の選挙は戦われるべきだろう。

ホープは突然現れる

クレア=ノースの『ホープは突然現れる』を読み始める。クレア=ノースの小説が好きなのだけれど最近、『ハリー・オーガスト、15回目の人生』を思い出すまで、未読であったことを忘れていたのである。あかんね。キャサリン=ウェブがクレア=ノースの筆名で書き邦訳された三作は、いずれも異能を自らに引き受けて生きる主人公を描いているけれど、同じ構造を使って紡ぎ出される物語の芳醇なことときたら。

前線が秋田付近に大雨を降らせる一方で、ひときわ厳しい暑さが続く。この日に続いて明日も39度を上回る気温が予想されているけれど、これが40度を上回るのも時間の問題である。

黒い海

伊澤里江『黒い海 船は突然、深海へ消えた』を読む。2023年の大宅壮一ノンフィクション賞を受賞した本作は、2008年に起きた不可解な漁船の沈没事故と、生き残りの乗組員の証言と矛盾する事故報告書をまとめた運輸安全委員会の動きに取材して、事件の真相に迫ろうとする。

海の『エルピス』の評もある内容は非常にスリリングで、その後の東日本大震災と福島第一原子力発電所の事故によっても大きく人生の航路を狂わされた人々の証言を記録に留めようとする筆者の志は気高い。一方で、通底する国家の不作為と官僚機構の事実への冷淡さはディストピア小説に登場する類型のようで、しかし実際であろうだけに愕然とするのである。概ね1年をめどに提出されるべき事故報告書が、3年後、東日本大震災のひと月あと、当事者が大混乱にあるそのさなかに出されたという事実ひとつがさまざまなことを物語るが、掘り起こされた文脈が炙り出していくのはひとつの推定事実で、たしかにその蓋然性は高いように思われる。

この国における事実の軽視は、さきの戦前と同じ状況にあるようだ。現実に対しては素人でしかない行政官が、繁殖の過程で無責任な政治と結託した結果、優秀な官僚機構という幻想は過去のものとなった。黒塗りの開示文書は政治の圧力によるものというより、責任回避のための自主的な役人仕草であるというのは、もとより想像に難くなく、この国はいよいよ「張り子のリヴァイアサン」と化して、事実は自由とともに扼殺される運命にある。