鳥の歌いまは絶え

ケイト=ウィルヘルムの『鳥の歌いまは絶え』を読んでいる。1976年に発表されたポストアポカリプス小説で、日本ではサンリオSF文庫から出版されていたけれど、叢書の終刊とともに入手困難となり近年、創元SF文庫で復刻されたもの。東京創元社はいい仕事をしているのである。

パンデミックも終わらないうちのウクライナ侵攻と気候変動の激化によって、最近の気分は終末っぽいのだけれど、この小説の冒頭、文明がなし崩しに滅びていく経緯は、今の状況にこそぴったりと合って、人類は、結局のところ『沈黙の春』と『成長の限界』によって見通された未来から逃れることはできないのではないか。

この日、岸田首相のコロナ感染が伝えられる。かなり以前からKF94マスクを常用していて、政治家のなかでも比較的に防疫意識の高いタイプとみていたのだが、この状況ではいつどこでウイルスに接することになっても不思議はないのである。このあと、永田町にも蔓延することになるとして、すでに思考停止の状況であれば、何か対策がとられることもないだろう。

サマータイムレンダ

Rebuildで話題になっていた『サマータイムレンダ』が面白そうだったので、速やかに全13巻と外伝のコミックを買い求めて読み耽る。瀬戸内海に浮かぶ島への帰郷、幼なじみの訃報、葬儀、怪しい影、夏祭りというあたりの記号がひと通り揃っているだけで、これはちょっと本腰を据えて取り組まなければならないと思うタイプである。舞台の日都ヶ島は淡路島近傍という設定だけれど、無論のこと国生み神話が関わってきて満足度が高い。

2022年4月からアニメ版がオンエア中のようだけれど、こちらは未見。2クール全25話でCVは花江夏樹ということだが、配信はDisney+のみらしいのである。そういえばそろそろDisney+を試す頃合いかもしれないと思ってはいるのだが。

ゴジラ S.P

円城塔による『ゴジラ S.P』のノベライズが発売されていたので早速、これを買い求めて読み始める。もちろん、この作者のことだから普通の小説ではなかろうと思っていたけれど、量子論的宇宙において、1954年のゴジラがコラージュされる冒頭から盛り上がる。すでに彼方の存在となったコミュニケーションAIナラタケの目線から語られる物語であり、アニメ版の履修必須といえ、必然的に物語世界の厚みはいや増すので、これはよいノベライズ。

FRBは6月に続いて2回連続で0.75%の利上げに踏み切る。ハト派のパウエル議長がインフレファイターと言われたボルガー議長と同じような局面に立たされ、インフレ期待の抑え込みに立ち向かわざるを得ない状況自体は明らかで、戦争がもたらすエネルギー不足と資源インフレ、コロナによる労働力の不足と賃金インフレ、加えて物不足と、リスクは下方にしか存在しない。必然的な利上げは債務危機の萌芽でもあるわけで、世界が早期に正常化に向かうシナリオはもう残されていないのではなかろうか。

情報と秩序

セザー=ヒダルゴの『情報と秩序』を読んでいる。原子から経済までを動かす根本原理を求めて、という副題の示す通り、宇宙創成のイメージとエントロピーから始まる話の枠組みは滅法大きく、情報の定義と言葉通りの起源に遡った議論はエキサイティングなものである。

時間は秩序から無秩序へと流れているのに、私たちの世界はどんどん複雑化しているように見える

まず、問い立てが見事なのだが、私たちの宇宙には過去も未来もなく、その瞬間その瞬間で計算される現在が存在するだけという時間観を導入する手つきも鮮やかである。面白い。

推し、燃ゆ

宇佐美りん『推し、燃ゆ』を読む。ルシア=ベルリンの小説をつい想起してしまうのは、名前が韻を踏んでいるからばかりではなく、文章によるモンタージュの印象が似ているからだと思う。切れ味のいい文章は流れるように読めるのだけれど、主人公の抱える問題が炙り出されるバイト先の場面の構築には感心する。

全体に言葉の感覚は研ぎ上げられている。スマートフォンは「携帯」と表記されていて、それについてはやや違和感があったのだけれど、そういえばしっくりくる言葉を思いつかない。日常ではiPhoneと言うけれど、これを置き換える一般名詞の持ち合わせがないようである。

この日、尼崎市の全住民の個人情報が格納されたUSBを、飲酒して寝込んだ外注先の協力会社の社員が紛失したというニュースが流れ、その会見でパスワードの桁数とそれが英数字の組み合わせであることが開示されるという、本邦のデジタルトランスフォーメーションの現在地を指し示す一連の事件が起きる。パスワードは年に一回更新されていたという駄目押しの自供を踏まえて、Amagasaki2022であるに違いないという指摘には笑ったが、この一幕では久しぶりにネットの集合知を見た気がしたものである。この大喜利のどこかに事実は潜んでいるだろう。

シーズン1

『疫神記』を読み終える。分量としては1,500ページほどもあって、前半は『フォレスト・ガンプ』の大陸横断みたいな話に、荒唐無稽なAIだのナノシステムだのという要素が絡んでくるのだけれど、現実の時節に合った社会の分断なども織り交ぜつつリアリティ側に振った話が進むので何だか読んでしまう。作者の念頭にあって、手厳しく描かれるのは陰謀論とトランプのアメリカで、市井の共感が物語をドライブしていく。

その心意気を最後まで見届けるつもりで集中的に時間を投じてきたのだけど、結末にかけてストーリー的な山場は用意されているとして、微妙に謎を残しつつ何なら続編に続くという終わり方は、シーズン2の制作が正式には決まっていないTVシリーズを観ている感じで、まじか、となっている。ううむ。

そしてこれもまた、カオスをカオスとして描くことができていない物語であり、陰謀論を批判的に扱いながら、その方法は陰謀論と同化する不思議な構造を持っている。おそらく、そのことに無自覚なのが話の奥行きに透けているのも残念なところであろう。東山彰良の『ブラックライダー』を思い出しながら読んでいたのだけれど、物語としての格はだいぶ違う。

疫神記

パンデミックを経験している最中にどうかとは思うのだけれど、遡ると『復活の日』くらいからこっち、パンデミック小説が好きなので近刊の『疫神記』を読み始めている。何しろ上下分冊で1,500ページぐらいある大冊なので、いつ読み終わることになるのかはわからない。いちいち長いのは少しキングっぽいのだけれど、書きぶりは読み易いのでぐいぐいすすむ。パンデミックものといっても事前情報をほぼ入れていないので、このままパラノーマルな方に向かってもおかしくない展開。恐るべき吸虫ロイコクロリディウムのことを思い出しながら読んでいる。原著の初出は2019年とかなので、COVID-19以前の幸せなパンデミック小説なのである。

この日、国会で補正予算が成立する。あわせ、1億総投資などという掛け声を聞くようになるが、僅かにあった平均賃金上昇による再分配の議論を飛ばして今さら総動員のキャッチフレーズとは。分配側は円安メリットと古臭いトリクルダウン論法で見て見ぬふりということだろうが、輸送を含む全面的な物価の上昇と急速な景気後退が全てを吹き飛ばすだろう。格差による分断のさらに進んだ素寒貧の1億総ギャンブラー国家というのが目指す社会像ということになる。