Montereyになってから初めてTVクライアントで映画をレンタルしてみたのだけれど、2時間弱の再生中に一度も異常終了がなかったので、少し品質が向上しているのではないかと期待している。今どき、OSの標準搭載なのにエラーで落ちないからといって品質が良くなったと言って良いのかは措くとして。エンディングまで通しで大丈夫だった経験の方が少ないのだから仕方がないけれど、確かに当方の期待値は著しく低いところにある。インターンに作らせたとまで言われたこのクライアントはCatalystの完成度を示すものだと考えていたのだけれど、であれば漸く仕上がってきたということか。
Apple
漸進
macOS 12 Montereyをしばらく使ってみてもさしたる変化は感じられずにいたのだが、入力のたびにフォントがガタつくという、2バイトのフォント処理を適当にしていることが明らかであったメモが今さらよくなって普通に入力ができるようになっている。かつてカット&ペーストができるようになっただけで大幅機能強化と言われたiOSを思い出すような話であるものの、この改善は大きい。少しずつしかよくなることができないこの世界において、正しい方向に進むことができるというのは大したものなのである。
ブックのノドアキ表示も復活したりして、普段使いのアプリが地味に改良されているというのが今回のアップデートの収穫で、iPadOSとの内部的な統一も進んでいると思うので、あとはTVのクライアントがまともになっていると嬉しい。ミュージックと合わせ、とりあえず機能時の動作がスムーズになっているような気もするけれど、Big Surの時も肩透かしだったのでもう少し様子をみる必要がある。
Monterey
macOS 12 Montereyの配信が始まったのでこれを導入する。ソフトウェアアップデートでいったんアップデートしたあとの様子はBig Surとほぼ変わらず、バージョンナンバーを二度見したくらいだが、M1のMacではシステム環境設定のツールバーのメニューからiPhoneのような初期化ができるようになったので、これを試してみる。OSの更新にあたってはクリーンインストールを好む流派なのである。
確かにiPhoneやiPadみたいではあるものの、アクティベーションプロセスなどの差異はあって、微妙なリテラシーを要求される感じ。そもそもネットワークに接続できなければ詰む仕様ではあるのだけれど、USBのインストールメディアをつくるところから始めるものとは違ってエコシステムに組み込まれた印象はあり、OSのシステムレイヤーはまたひとつユーザーから覆い隠されたという感慨もなくはない。
ところで初期化したMontereyも表面的な進化の形跡はほぼ見られず、少し前に行われていたSafariのアップデートを除くとFaceTimeがちょっと変わっているくらいで、見た目の派手さがないのが好ましい印象のバージョンアップになっている。
インベージョン
Apple TV+で配信の始まった『インベージョン』を観る。予告から楽しみにしていたのだけれど、第1話の不穏な立ち上がりはなかなかのもので、実を言ってイントロのスチールだけでも掴みは十分という感じ。東京の街越しに上昇していくロケットブースターのヴィジュアルイメージは素晴らしい。その不思議な雑居感は東京のドラマパートにも組み込まれていて、忽那汐里と菊地凛子の存在感を際立たせている。一方、アメリカではサム=ニールが演じる保安官の物語が進行して、運命に通り過ぎられてしまった男の退職の1日が語られ、この話も奥行きがあるので侵略ものであることを忘れそうになる。見応えがあるのである。今のところ、M=ナイト・シャマラン監督が撮ってもおかしくない話の運びなのだけれど、演出はまたそのあたりとは異なる雰囲気を醸していて、これもいい、
M1 Max on Macs
M1のMacBook Airの底力にさえ触れたことがない感じなので、今のところはそれ以上のCPUコアもGPUコアも必要ない気はするけれど、iPad Pro 12.9インチのミニLEDディスプレイの印象は好きだし、120MHzのリフレッシュレートもいいということを知っているので、現有機のトレードインがあったら買い替えてしまう危険もないわけではない今回のMacBook Proラインアップを眺める。
ローエンドから出発すると、まずコア数の組み合わせでM1の選択肢が5つもあって、26種類のジャムを売る店の売上が6種類しか売らない店の売上に劣るという話を思い出す。M1の歩留まりの選別上の事情とアップセルの最大化の両立を狙うと理屈ではこうなるのだろうけれど、ユーザーには今のところ数の多寡しか判断材料がないので出だしから躓く感じ。
ファウンデーション #3
『ファウンデーション』を観る。帝国の落日の日々とターミナスのアウトポストとしての黎明を語る第3話は、この映像化をわざわざ観ようという向きが満足できるレベルに作り込まれていて、特に前半の帝国の代替わりの叙景的展開は素晴らしい。ブラザー・ダスクとデイが時間経過に従って入れ替わったりもするので、映像としてはかえって難解で、原作を知らなければ何のことやらという感じなるかも知れないことを引き続き心配してはいるものの。
この日、新しい政権の執行体制が徐々に明らかになっているけれど、どう並べ替えても別に新しい絵柄が浮かび上がってくるわけではないというのは明らかで、腐っているものは腐っているのである。わかっていたことではあるけれど、かえって、やはりどこをとっても駄目ということが再確認される事態となっている。いやはや。
新機能
iPadOS 15を導入したけれど、結局のところ従来と同じ使い方しかしていないという反省があって、新機能の解説に目を通している。メモ本来の用途を突き詰めた進化には好ましいところがあって、文字認識の装備とあわせ使いこなしたいところだが、ついいつものアプリを開いてしまう。結局のところ自然と享受しているのは性能の向上がもたらす体験の進化が中心で、そういえば近頃、iPhone 13 Proを導入したのだがカメラの出来栄えにはやはり驚いたのである。かつて、ハード・ソフト協調設計というは日本の会社が得意とするところだったけれど、残念ながら、ここにもはや出る幕はないみたい。