欧州もウクライナも言いたいことを飲み込みつつ嵐の到来を予感する時間帯。中東はもはや、何も期待しないだろう。トランプとマスクが早速、徒党を組んでオラオラという感じになっているニュースをみると、迫り来る荒波の大きさを予感せざるを得ないわけである。実際のところ、不愉快極まりない。文化には相当な刺激を与えるだろう。圧政にあって自由の価値を希求するのが人間の本性というものである。

いろいろ片付いていっているはずなのだが、これまた渡世の事情で朝からパソコンに張りついて仕事。やれやれ。

逆ソクラテス

伊坂幸太郎の『逆ソクラテス』が最初から終わりまで、実に伊坂幸太郎らしい話なので感心する。物語はシンプルなのだけれど、登場人物が相互に関係しているらしい描写が考察を呼ばずにはおらず、しかし最後に少しだけピースを余らせる感じは名人芸の領域にある。全編は読みやすく、凝った文体ではないけれど、メッセージの一貫性が作家性を強く意識させる読後感は独自のものであろう。物語の編み出す文脈が多層に存在すること自体を楽しむ抽象画のような構造のなかで、抽象画というものが再帰的に語られるというようなところがあるのだが、これはもちろん巧まれたものに違いない。

専横

一夜明けて、ニュースであの尊大な男の奇行、愚行を毎日のように確認する羽目になる4年間のはじまりを知る。The New York Timesの紙面は警告と悲嘆に満ちているけれど、もちろんそれでも十分とは言えないに違いないのである。大統領への就任を見越して、司法省は起訴の方針を撤回する。これを掣肘するものは既にないのである。

Chance to winning

アメリカ大統領選挙の結果の判明までは、もしかしたら何日かかかるのではないかという想定も、今となっては希望的観測というもので、開票の経緯はみるみる赤の選挙人が積み上がっていく様子を伝え、日本時間の夕方前にはトランプの勝利確率が95%を上回る。やれやれ。合衆国の国民がこのような選択をしたことを、歴史がどのように振り返るかは今後にかかっているけれど、ほんの数年前の混乱をなかったことにするが如くのこの国家的健忘症はどんな教訓も無効化して必ずや大いなる厄災を呼び込むであろう。

ようこそ、ヒュナム洞書店へ

ファン=ボルム『ようこそ、ヒュナム洞書店へ』を読んでいる。奥泉光の長大な小説の合間に読むのがちょうどいい感じ。本邦では喫茶店、食堂、本屋などを舞台に日常を描く小説のジャンルが隆盛を極めているけれど、韓国でも似たような感じなのかもしれない。今や両国の文化は互いに大きな影響を与えているようである。著者はLG電子の技術者だった経験があるみたいだけれど、激しく競争に駆り立てられる社会から自主的に撤退して自己を保とうという人たちのさまざまな生き方を肯定するストーリーは静かだけれど奥行きと読み応えがある、面白い。ドラマになってもおかしくない話だけれど、そこは本で読むべきであろう。

H3 4号機

この日、H3ロケットの4号機が種子島宇宙センターから打ち上げられる。リアルタイムで過程を説明するJAXAのプレゼンテーションは一般向けに練られた丁寧なもので、簡単なテレメトリがわかるくらいだけれど臨場感があって面白い。衛星分離までなんとなく見入ってしまう。積み荷の防衛通信衛星は無事に軌道に乗ったようである。

中村義洋監督の『ポテチ』を観る。10年以上前に観たことがあるのだけれど、濱田岳や木村文乃が出ている伊坂幸太郎原作の中編で独特のリズムと空気感があって楽しめる。若い松岡茉優が美人局の役回り。2012年の映画であればそれほど昔のものとは思えないのだけれど、固定電話の留守番メッセージが重要な小道具となっているので、人よりも風俗に時代の変化を感じざるを得ない。

『海に眠るダイヤモンド』は第2回。今回も60分の拡大枠という大作の風格で、行方のわからない話だけれど、その話が面白いので全くダレるところがない。引き続き楽しみにしている。

虚史のリズム

ウチの坊やが久しぶりに帰ってきているので、諏訪湖周辺をウロウロして新蕎麦を食べたり、お参りをしたり。ついでに久しぶり書店を探索して、奥泉光の長大な新刊と韓国小説を買い求める。よく考えると、新刊が出れば条件反射で買う日本人の小説家は、今や奥泉光くらいになっているのではなかろうか。一方、韓国の小説はよく読んでいるという自覚がある。

奥泉光『虚史のリズム』はA5で1,100ページを超える物理的な大作であり、得意の戦中から戦後の物語であり、登場人物の他作品からのクロスオーバーも多いらしいので、年末にかけてじっくり読もうと思っている。何しろ、ずっしりと重いので気軽に持ち歩ける感じでもないのだけれど。