リチャード=セイラーの『行動経済学の逆襲』を読んでいる。ノーベル経済学賞を受賞した著者の本であれば、自身が一定の権威であるに違いないのだが、効率的市場仮説が広く前提として認められていた時代に遡って語られる年代記の印象があって、その主流派との論争の歴史は面白い。パラダイムのぶつかり合いといえば、その違いが際立っているだけあってわかりやすいのである。仮説とその名にもつ考え方を、不動の原理であるかのように考えてしまう人たちの主張そのものが、予想通りに不合理である人間の生態をよく示して面白い。
足音
今や皆が見て見ぬふりを決め込んだ例の疫病だが、このところ知り合いや知り合いの知り合い、何なら家の周辺でも感染が確認されていて、こうなってくると当たり前だけれど、別になくなったわけではないということがよくわかる。このうちの10%には後遺症が残り、何割かでは寛解まで長い時間がかかり、これを直接の原因か、あるいは遠因として亡くなる人も続くとなれば、それらの影響は軽く見ることはできないであろう。長期的には、その影響は人類の遺伝子にさえ組み込まれて共生することになるとしてもだ。何しろケインズが言うように、長期的には我々はみんな死んでいる。
LK-99
このところ暑いだけの日々が続き、夕立のようなものもなかったのだけれど、この日、関東甲信越は不安定化した大気の影響で局地的に大荒れとなる。激しい雷雨はこの地でもあって、雷鳴も文字通り轟く感じではあったけれど、場所によっては大きな雹も降ったようで、いろんなことが激しくなっている2023年の夏。
この日、噂の常温常圧超伝導体について追試に成功したとかしないとかいうニュースが飛び交う。事実であればエポックメイキングな大発明であるのは間違いないけれど、であれば、再び産業革命をやり直す余地が地球に残っていることを願うばかりである。
中断
昨夜、ローカルニュースで伝えられた死亡事故のニュースは、在住のヨーロッパ人会社員が何らかの理由で車線をはみ出して対向車線の軽トラックにぶつかったらしいとの推測が添えられていて、最果ての国で取り返しのつかない事態に立ち入った経緯の、道のりの長さそのものに何かしら不思議なものを感じたのでよく覚えていた。
その出来事で、ぶつかられて亡くなったのが、見知った人であることを翌る日に知って衝撃を受けている。不思議な人生航路の長い軌跡がどのように描かれるかを知ることはできず、それどころか、それが交点をつくったことにさえ気づかず、ほとんどの場合、私はただ通り過ぎて行く。
悪鬼
『悪鬼』の第12話を観る。因習を煮詰めたような過去がもたらす惨劇を描いた話であれば、ハッピーエンドなど望むべくもないと知れているのだが、キム=テリの演技には全てを見届けなければいけないと思わせる何かがある。思えば『二十五、二十一』にも、そんなところがあったような気がする。演技派なのである。話の方は、怨霊的な謎解きと開けてはならぬ禁忌で引っ張る感じではあったけれど、全体としてよく構成されていて、刑事を演じたホン=ギョンも格好いい。よくもあり、悪くもあるラストシーンの味付けは絶妙。
列島を覆った高気圧の影響で引き続き暑い日が続いている。雨が降らなければ地面に熱が籠り、降れば湿度が上昇する二者択一。一方、その高気圧が押し出す形で台風5号の直撃を受けた中国の沿岸は大洪水に見舞われ、続く6号も同じようなコースを辿ってなおも接近中にある。
ドリーム
『ドリーム』を観る。ハンガリーで行われるミニサッカーの福祉大会に出場しようというホームレスのチームを指導することになったサッカー選手が、変わり者揃いのチームを嫌々、指導するうち、自身にとっての意義を見出していく。パク=ソジュンが主演の韓国映画。
世知辛い世の中、欲得ずくで取り組み始めた仕事が、それぞれの事情を知るうちかけがえのないものとなっていくという、よくある人情劇ではあるけれど、脚本のメッセージは明確なセリフとして、あなた自身が路頭に迷うことにはならないと言えるのか、倒れたものを支え合って、皆でプレーするのが社会ではないかと訴える。この率直さには何がしかの意味があると思う。
沸騰
地球温暖化はそのティッピングポイントを越えて地球沸騰化に向かうと国連事務総長が警告する。沸騰という言葉には、状態の位相が変わったという含意があり、単により強い言葉を選んだということではない。この7月は史上最も暑い7月となったが、これから先、最も涼しい7月だったということになる可能性は極めて高い。これから先は、あらゆる気象的な事象が極端化する。社会の仕組みがその激変に適応することは難しく、収奪と諍いと暴力が台頭してくることもまた、間違いあるまい。
この日、日銀による金利政策の上限目標が変更される。政策としての持続可能性の是非はともかく、理由となったインフレの傾向は明らかに供給からのプッシュ型であり、円安がそれを増幅して国内の困窮の度合いはさらに強まる。単に金銭の話を超えて食糧自給が問題として認識される未来すら、そう遠くないかも知れない。