超予測力

『超予測力』を読む。これもハヤカワのNFで、ちょっと煽りの入ったタイトルではあるけれど、問題を分解して手に負えない事柄は扱わず、実績の評価をしながら予測を行う科学的な手法の有効性と限界を説いた内容で全く常識的。その教義に至るまでの前振りが長くて、ちょっと笑ってしまう。読み物としての体裁をよく心得ているのである。それも含めて十分、面白いし、この不確かな世界を生きていくのに、科学の方法のなんと心強いことか。

この日、官房長官は記者会見で新型コロナウイルスの感染拡大に先手で対応すると述べたという。これほどの厚顔であれば、国土が焦土と化してなお、大勝利を宣言することさえするだろうが、収奪的な政府が試みているのは国民から言葉を奪い、無力感を植え付けることなのである。

あなたの知らない脳

『あなたの知らない脳』を読む。ハヤカワ・ノンフィクション文庫は好きである。ラマチャンドランの『脳のなかの幽霊』から時を経て、受動意識仮説の世界観はさらに深まっている印象。人体のサブシステムを統合するのが脳であり、意識はその一部に過ぎないというのは今や疑うところのない話だろうし、一方で還元主義的な立場を拒否する著者の主張はよいバランスにあると思える。面白い。

災害において無策で、あらゆる機会をとらえて中抜きの金を落とすこの国の政府の最近のテーマは増税で、さすがにこの収奪的な政府がまともに機能するなどとは期待するほうがおかしい。再分配の機能を正常化するという一点で、次の選挙は戦われるべきだろう。

ハヤブサ消防団

『ハヤブサ消防団』を観る。このクールの地上波ドラマらしいけれど、中村倫也が結構好きだし、それが書けない小説家というライターズブロックものの設定も好み。地方の共同体を濃縮したような消防団を舞台にして、そこに曲者揃いのキャスティングを実現しているのも面白い。実を言って、岡部たかしが出ているので、ちょっと観てみようと思ったのである。このところ売れている一ノ瀬ワタルまで顔を出しており、制作にも力が入っていると思ったら、原作は売れっ子の池井戸潤らしい。キャラを立てるのが上手な物語を作るので、映像化がひきも切らないというところがあるのだろうし、それをよく理解している感じ。

今日のウェブトゥーン

『今日のウェブトゥーン』を観る。本邦の『重版出来』を原作とした韓国ドラマ。ウェブ漫画の編集部に舞台を移し、しかしオリジナルのエッセンスはきちんと盛り込んだ実写化で、韓流の風味もしっかり効いていたバランスのいい作り。日本でのドラマ化もよかったけれど、ちゃんと面白くなってくるのは、原作の話がよくできている点も大きかろう。エピソードはほぼ踏襲されている感じだけれど、父権と家族がしっかり顔を覗かせるのが興味深い。文化的にあらまほしいバランスというのがあるようである。

ホープは突然現れる

クレア=ノースの『ホープは突然現れる』を読み始める。クレア=ノースの小説が好きなのだけれど最近、『ハリー・オーガスト、15回目の人生』を思い出すまで、未読であったことを忘れていたのである。あかんね。キャサリン=ウェブがクレア=ノースの筆名で書き邦訳された三作は、いずれも異能を自らに引き受けて生きる主人公を描いているけれど、同じ構造を使って紡ぎ出される物語の芳醇なことときたら。

前線が秋田付近に大雨を降らせる一方で、ひときわ厳しい暑さが続く。この日に続いて明日も39度を上回る気温が予想されているけれど、これが40度を上回るのも時間の問題である。

Velja

久しぶりにMacの環境を初期化して最小環境で運用している。これを始めるとWebサービスの他に必要なのはブラウザとエディタぐらいじゃないかという気がするくらいクラウドは浸透していて、実は吊るしのMacBook Airでも大丈夫なんだろうという気がする。いつものことながら。

こうなると基本的にはSafariをメインで使いたいところだが、Chromeも入れざるを得ないというところはあって、その使い分けには頭を悩ますことになる。これまでのブラウザセレクターはどれもイマイチだったけれど、最近導入したVeljaはかなり質の高い出来栄えで便利に使っている。ドメインによってあらかじめルールを設定し、RaycastからChromeのブックマークを参照して起動すると自然と使い分けができて面倒がない。ありがたいことである。

大雨

この日、秋田を中心に降り続いた雨で河川の氾濫が相次ぎ、上流のダムでは緊急放流も実施される事態となる。多くの観測点でこれまでの記録を更新した雨量は半日で1ヶ月分を上回るものとなり、レベル5の警報が繰り返し発出される。世界の平均的な気温が観測史上の最高を記録し続けるこの夏、気候変動の影響は目に見える変化として現れるようになってきた。この傾向はほとんど不可逆的なものとして続いて行く。こうした状況はこれまでも幾度となく書いてきたけれど、事態の進行につれ、より過酷な現実として。

この国の政治は、災害において姿を見せず何もしないことを学習して、報道もそれを指摘せず、見殺しの一方で収奪を強化する。その劣化もこの10年のものだが、こちらはまだ不可逆のものではないはずである。