デス・プルーフ

blue『デス・プルーフ』を観る。グラインドハウスの例のやつ。構造は精緻に仕組まれていながら、ディテールは猥雑かつ下らないという、あるいは、おそらくはこの調子で物語らせたら、いくらでも話を紡ぐであろうと予感させる手繰り方、まがいものを作りながら固有のヴォイスを感じさせる映画であり、クエンティン=タランティーノはただの映画好きというよりは、天才なのではなかろうかと疑う。カート=ラッセルはスネーク以来の適役。