『ノーカントリー』を観る。コーエン兄弟がオスカーを獲っているし、原作がコーマック=マッカーシーだったりで期待値は高い。これまた助演男優賞となったハビエル=パルデムが強烈な印象を残す殺し屋を演じており、キャラが立ちすぎて何だかよくわからん犯罪映画とみる向きもあろう。しかし、原題が『No country for old man』であるからには、本編の関心は、サイコな殺人者というより、あるいは血と暴力というより、壊れてしまった社会秩序のほうにあるはずで、とみれば、その焦点のとりかたが物語の深度に奥行きを与えている。
I think once you quit hearing “sir” and “ma’am”, the rest is soon to follow
というセリフをトミー・リー=ジョーンズ以上に苦々しく言える役者はいないだろうが、物事をほぼ見通しているはずのこの保安官は、ことによったらモスの隠したカネを見つけた挙句、あっさりと引退してしまう。往く世代に属している者の嘆息でしか古き良き時代は語られないのだが、それすら過去に葬ろうという構造であり、現実と同様、この映画にも救いは用意されていない。
さて、アントン=シガーである。共同体における交流、店先における何気ない会話でさえ通じないこの殺し屋は、父祖の世代を躊躇なく殺めるモンスターとして描かれているが、物語の最後には、やがて婦女子をも災禍に巻き込むであろうことが暗示されている。このキャラクタが何を象徴しているかについては観客に任されているが、ベル保安官が惜しむ、かつてあった社会の背骨のようなものに対峙する存在として、不死性と遍在性を付与されているかのようだ。物語の最後、元保安官となった男がみたひとつめの夢は、親父に貰った金を失う夢だったが、失ったのは文字通りの金銭ではあるまい。