『イングロリアス・バスターズ』を観る。冒頭の農家のシーンから尋常ならざる緊張感を強いられる語り口で、タランティーノ特有の冗長なダイアログが有効に機能しており、運命の三姉妹が登場したり窓が効果的に表現されたりと象徴の使い方も円熟の域に達している。それだけではない。ショシャナと大佐が再び邂逅するシーンではミルクが登場するだけで心拍数が上がる文脈が構成されていて、このあたりの映画表現は、いつもの手法であるとはいえ甚く感心した。舞台装置の扱い方も同様で、酒場といえば結局のところ近接銃撃戦が起こるという映画史的合意に従って、もちろん撃ち合いは起こるのだが、それに持ち込むまでがサスペンスであって語り口が非常に巧い。
そんなわけで、予告編から予想されるようなバスターズが大暴れする活劇ではないにもかかわらず、映画的な予感と反復と虐殺で152分を長いと感じさせないあたりは、やはり大したものだと思うのである。