『グリーン・ゾーン』を観る。マット=デイモン主演、ポール=グリーングラス監督というからには『ボーン』シリーズを想起させずにはおかないし、ハイテクの支援機器が彩る画面はまさにあの世界だから、アクション映画としてはなかなか見応えがある。占領下のサダムフセイン国際空港空撮全景(これはCGだと判っていても思わず見入る)とか、ブラックホークの縦列転回とか、軍事行動に関連して観るべきイメージが多いなかなか結構な出来ではあるのだが、大方の論調がそうであるように、イラク戦争の契機となった大量破壊兵器にまつわる、あるいは意図的な事実誤認を題材に扱うにしては、いささか安直な物語構造となっている。
マット=デイモンが演じる陸軍METチームのミラーは措くとして、現地のCIAは中東歴の長いベテランで、これをブレンダン=グリーソンが演じているからいかにも職人風の信頼感があり、対する国防総省の高官がどうやらニセ情報の陰謀を巡らしたという構図なのだが、役者がグレッグ=キニアだから見るからに怪しいという判りやすさである。だがしかし、現実にはこの失態で真っ先に更迭されたのがCIA長官のテネットだったことを考えると、判りやすい定型の人物相関に納得している訳にもいかないのである。おいおい、CIAは関係ないとでも言うつもりか? そもそも現場でのイザコザはあるにして、政権中枢の関与を匂わせることすらしないこのお行儀の良さは一体いかなる理由によるものなのか。
物語は「お尋ね者トランプカード」にも名を連ねたクラブのジャックことアッ=ラー・ウィーの追跡をもう一つの軸として展開し、実に娯楽映画的な結末に至るのだが、そもそも死んでない人間を殺してしまったり、一兵士の活躍によって正義が守られたり、強く現実に相関している話の映画化としては、あまりにも乱暴なところがあって、それがよく見えるだけに、やはり気になってしまうのである。「西部劇」のリアリティと一体、何が異なるのか。一方で「西部劇」それ自体は面白いのも確かであるにして。
どうでもいいことだけど、Code-nameに字幕では「暗証名」という訳語があててあって、こういうことをするのは戸田奈津子に違いないよ。