『プール』を観る。小林聡美ともたいまさこがホスト役で、タイのゲストハウスが舞台である。端的には南国的に弛緩した『かもめ食堂』を撮ろうということなのだろうが、邦画に特有のロングショットが多い画面は意図を欠いた退屈なもので、この96分はちょっと辛い。小林聡美の娘役を演じた伽奈はモデルという話なので、求めても酷なことながら演技をしているようには見えない。それをカバーするための遠景というわけでもあるまいが、表情の窺えない画面は総じてくすんだ印象で、薄暗く、光線の計画についても致命的に無自覚であるようだ。タイという国の天気がこれほど曇天の印象であるはずはないが、それもあって肝心のプールがちっとも印象的に映らないのだから話にならない。 編集も奇妙に前衛的なところがあって、朝方の場面に夕刻の記憶が唐突に挿入されたり、イマジナリーラインを混乱させるような繋がり方があったりで、感心できるようなものではない。
というような内容に、いちいち憤慨しつつ観ていた。誰も泳がないプールは波紋すら起きない日常の写しであり、森ガール層にはこんな感じという適当さが透けて見えるようで全くいただけないと思ったのだが、そのプールが、しかし、結末に至って伝統的な異界、つまりあの世の象徴に転化するという仕掛けで腰が抜けた。子どもを日本においてタイに滞在している母親、という不可解な設定は、つまり彼岸にいるという読み方が順当なのかもしれず、したがってこれは大島弓子調のファンタジー、むしろホラーであって、とはいえ、この映画はそんな解釈を許す売り方はされていないのである。一体、何がどうなっているのか。『かもめ食堂』のファンがラストの「きれいだねぇ」という奇怪なセリフ(だって見えるのは靄煙る街道と僧列の背中である)をどのように消化したのか興味のあるところだが、これは大向こうが期待するような物語ではなく、プロモーションの意志と制作の意図は実際のところ大きくかけ離れたものなのではないか。