引き続き、プレシャス

引き続き『プレシャス』について考えている。いろいろと考えさせられる映画というのはそれだけでも観てよかったと思えるものである。
この物語において徹頭徹尾、母は娘に正しく接することができない。代わりに登場する導き手がEOTOの女性教師レインである。ただし、レインは同性愛者として描かれていて、そこに母性の雰囲気はなく、つまり母の代役ではなく、あくまで教師の立ち位置にあることがテーマを際立たせている。
プレシャスが知り合いの看護士に女性を紹介する小さなエピソードがある。人と人が出会い結びつくということは社会構成の基本であり、これを促す能力を有しているほどに、社会の成員として立派に成熟した存在なのだということが説明されている。
よく考えられた脚本なのである。プレシャスの母は求めることを重ねて、ついに娘も失うことになる。これは愛の性質の裏返しを描いて、同時に、この母の主張に通底する「論理」と強欲が広く現代に蔓延していることを指弾しているようだ。