tweet民主主義

本邦における今回の口蹄疫についての一連の流れをみているうち、Twitterがイラン民主化運動のインフラとなったという話をどうやら深くは理解していなかったという感慨に至った。
口蹄疫をめぐるネット上の世論についての話は別に譲るとして、このたび、政府の「巻き返し」と時を同じくして、「いや、宮崎県にも落ち度はあったよな」とかいうあたりの報道、コメントそれこそtweetが、それなりに訳知りの風情で放流され始めているのを見ると、野中広務が暴露した官房機密費の話との符合をみるまでもなく、どうやらこうした世論誘導の試みというのは日常的に行われていることなのである。もちろん自国民を対象として。
日本人の精神年齢が12歳だったのもだいぶ昔のことだから、まぁ、そういうこともあるだろうと、その話も別に譲るとして、常駐の対策本部を現地に設置というようなパフォーマンスも、結局のところTwitterなりブログなりでの強烈な世論形成を念頭には置いているはずだと思うのである。
感慨深いのはこのフィードバック機能であって、いや第三権力としてのTwitterなどというつもりはさらさらないのだが、ここまで自由なつぶやき、時に罵声が世論の一部を形成するのであれば、これを古風な手段で誘導するのはもとより困難なことなので、パフォーマンス以前に、政権の努力は自ずと「きちんとした仕事」をするという、あたりまえの方向に向かうのではないかと考えるのである。願いを込めて。つまりリアルタイムのフィードバックが動的均衡を改善する。それを権力監視と言うのもいいのだが、必要なのはむしろこうした構造の理解に基づく権力自体の自己改善なので、ことはそれほどおどろおどろしいものではない。