『ウォール・ストリート』を観る。『ウォール街』の続編で、映画はゲッコーが刑務所を出所するところから始まる。その手続きで、旧式の携帯電話を渡されるシーンがあるのだが、恐らくこれが一番やりたかった場面であろう。何もかもが懐かしい。
それからさらに数年、サブプライム危機の顕現により金融街には不穏な雰囲気が漂っているのだが、リーマンショックに相当する一段の下げは起きていない時間帯を舞台として物語は展開する。主人公はエネルギー関連のトレイダーを生業としており、シャイア=ラブーフが義理堅く、懲りず、しかしあまり深く考えていないという感じのキャラクタにうまく馴染んでいる。前作で善玉だったチャーリー=シーンが、すっかり嫌な奴になって登場するあたりでうれしくなってしまったのだが、ストーリーのほうは後半に腰砕けとなって、状況をうまく活かせているとは言い難い。ゴヤの黒い絵の15番目の作品としてもうひとつの「我が子を食らうサトゥルヌス」が登場したりするのだけれど結果、このあたりの文脈はかなり浅薄で失笑もの。
結局のところ、ゴールドマン・サックスに鉄槌が下るような展開を夢想しているのだけれど、そうはなっていない現実を生きている目からは何か足りないのではないかと思わざるを得ない。それを含めて非常にオリヴァー=ストーンらしい映画となっていて、マイケル=ダグラスはなりきっているし、演出も相当にわかり易い。