『冷たい熱帯魚』を観る。正直言って、園子温が監督・脚本の映画は苦手なのだが、本作も実に園子温的な色彩に彩られていて146分がかなり苦痛。実際にあった連続殺人事件の犯人の特異な言動に題材をとって、崩壊した家族の顛末をグロテスクに描いているが、R18っぷりでは、たとえば『悪魔を見た』に及ばない。
事件の現場となるのが山間の廃れた教会で、この舞台に移った場面では、なるほどこのタイトルはゆえに魚であったかと思ったものだが、つまり魚というのはキリスト教のシンボル、イクトゥスそのものであったかと、続く瀆神的な展開を予想しつつ思ったものだが、このあたりの読みはまったく早トチリとみえて、そうした象徴的な広がりは一切ない。つまり園子温のいつものように、神などいないという主張は単に偶像を血で汚すことによって表現される。いやはや。
神の不在を語るのは勝手というものだが、それには、神の存在を語るのと同じ構築が必要というのが道理であって、苦手というのは、つまりこの種の手の抜きかたなのである。深遠なテーマと見せて、アナーキーなイメージのみを提示するこの種の短絡を世間では厨二と呼んでいるのではなかったか。それが語り得ぬのであれば、口を閉ざしているべきなのだ。