息もできない

autumn『息もできない』を観る。韓国の新鋭ヤン=イクチュンが製作/監督/脚本/編集/主演の五役をこなしている。この人が主人公サンフンを演じているのだが、外見からして取り立て屋のチンピラそのものにしか見えないあたりにまず気合いが入っている。
冒頭から映画は暴力の気配を漂わせているが、実際のところ韓国の他の映画に比べれば、過剰な暴力の描写は控えめで、おそらく監督の描きたいものはそこにはない。ただし、題材としての家庭内暴力は主要な要素であって、これと家族間の金銭のやりとりが執拗に描かれる。どうやら儒教の国においても父親の権威は変質し、その歪みの辻褄をカネが合わせるかたちで共同体の再構成が進んでいる。そうしたシステムと肉親の情の間に生じる軋轢のようなものを端的に取り出してみせる筋書きで、比較的静かに物語は進行する。チンピラと生意気な女子高生が出会う、というような道具立てはあるとして、ヒロインは悲劇とその再生産の目撃者としての役割を振られているのであってロマンスが主眼というわけではない。漢江のシーンの前時代的なストイックさは胸を打つにして。
主人公はぶっきらぼうであり、深い洞察が語られるわけでもなくセリフの大半は罵倒が占めており、同じようなモチーフが何度も登場するし、大きな事件が起きるわけでもないので、上映時間の130分を長いと感じないのが不思議なほどなのだが、このテンションの作り方にまず才気が表れているというべきだろう。北野武の映画に近い雰囲気を感じる向きがあるはずだが、画面の作り方に表れる類似点は意外に少ない。ありふれた題材を緊張感のある映画に仕立てたのはクレジットからしてヤン=イクチュンその人であることは疑いなく(何しろ一人五役だ)特に感じ入ったのは役者としての存在感であり、どうやら韓国映画はまたひとつの才能を得た。