『猿の惑星:創世記(ジェネシス)』を観る。現代を舞台とした本作は、どうしたってオリジナルのネタバレになってしまうのだが、つまり今さらそうした配慮も意味がないくらいに有名であるというのが前提である一方、話自体はミッシングリンクを残した作りとなっていて、本歌取りとして微妙に配慮を行ったかたちとなっている。作中にイカロスというロケットがチラリと出てくる通り、ある意味で自己完結していた2001年のティム=バートン版ではなく、1968年のオリジナルに繋がる設定というのが建前だが、だからといってツジツマがあっているかというと疑わしい部分も多い。
では何故、今この映画かといえば、恐らくはチンパンジーの表情を描くことが出来るくらいCGの技術が進歩したからという理由であって、不気味の谷を軽々と飛び越えたその表現は単純にすごい。猿の感情の変化がわかるくらいだから、人間の役者がCGに取って代わられる日も近いのではあるまいか。主役のはずのジェームズ=フランコの影も心持ち薄く、本作の中心にいるのはチンパンジーのシーザーであるというところは認めなければならない。