コクリコ坂から/海に降る

期待値を上回る

録画してあった『コクリコ坂から』を観る。タイトルに「坂」が入っていれば、ほぼ自動的に『坂の上の雲』を想起するわけだけれど、坂を上っている時代の物語といえばそう外れてもいなくて、戦後復興を経た時代の古き良き雰囲気を纏った物語としてわくわくと楽しんだ。考証的なあれこれを持ち出すという感じでもない、そういう有無を言わせないところがジブリ的に完成されていると思うのだけれど、横浜を舞台にしているということを全く知らなかったのでそこは驚く。
きちんと、折り目正しい生活を描くだけで、どうして奥行きが出てくるかといえば、わかりやすい損得とは異なる、固有の価値観の軸が導入されていることを観客が理解することになるからだと思うのだけれど、こういう暗黙の了解を取り付けながら物語を紡ぐ手際はジブリ一流のものと唸ったら脚本にはなるほど宮崎駿の名前が入っている。なるほど。
そうはいっても、繰り返し登場する朝餉の用意のシークエンスは演出的にも効果的なもので、息子だというだけであれこれ言われる宮崎吾朗監督はさすがに気の毒という気がする。ただ、結末の手順はちょっといただけなくて、このあたりの混乱がどうして生じているのかには興味がある。

『海に降る』読了

Kindleでダウンロードしてあった『海に降る』をちょっと読み進めようと思ったのだけれど、一気に最後まで。深海とロマンは同義であり、それは『日本沈没』とか『ガメラ3』における「かいこう」探査シーンとか、先人のイマジネーションを引くまでもないが、本書でも実に魅力的なクライマックスが用意してある。映像的にもイケると思うので、樋口監督あたりが映画化したらよいのではないだろうか。

green