『ワールド・ウォーZ』を観る。
マックス=ブルックスの『WORLD WAR Z』の映画化で、映像化権を買い取ったブラット=ピットが結局のところ主演している。とはいえ、原作を読めば明らかなように、もともとの小説はブラピが演じるようなヒーローはそもそも登場しないある種の群像劇だし、それ以前にハリウッドの起承転結に沿うような話でもないし、伝えられていた製作過程はそれに追い打ちをかけて不安を煽る混乱ぶりであったけれど、さすがハリウッド映画製作は結局のところ最後に帳尻を合わせると感心させることは全くなくて、大金をかけたわり相当にグダグダなパニック映画になっている。いやはや。
そうはいってもトレイラーを観ただけでそのあたりの雰囲気は予知できて、そうである以上はいかなる期待も持つことなく、いわば明鏡止水といった心持ちで鑑賞に臨んでいるのだけれど、さすがにウィルス学者が死んでしまうくだりでは劇中のブラット=ピットが呆然とする以上にこちらが驚いた。コントか。
マックス=ブルックスは『プロデューサーズ』のメル=ブルックスの息子なので、この状況もプロデューサーズ的混沌と笑い飛ばすことができるであろうあたりが救い。これに2億ドル以上を投じることになったパラマウントにとっては全く笑いごとではないにして。
そうはいっても、いわゆる駄作として切って捨てるには金がかかりすぎているというのも事実であり、『地球最後の男』に対する『アイ・アム・レジェンド』ぐらいの感じで考えれば、まぁ、大体こんなもん。
ヤマ場はエルサレム陥落のあたりで、この、いわば第2幕に関してはイメージとしても新鮮なところが多く、わずかにここだけは評価しなければならないと思うのだけれど、残念ながら他のパートは先行諸作品のあからさまな影響下にあると言わざるを得ず、いろいろもったいない。
何故、ここまでネタを殺せるのかという疑問から出発して、どうしたらもっと面白くなるかを考えるのには最適の教材であり、まずゾンビの生態をどのように設定するかがキーになるのは論を待たないが、今さらゾンビが走ることについてあれこれ言っても仕方がない。この原作の使い方で言うなら、
Don’t worry, everything’s going to be all right.
というキーフレーズを言葉通りの文脈で使う脚本は何も考えていないと言わざるを得ず、そもそも小説を読んでいるのかという点についても疑念を拭いきれない。まったくのところ。同時期の映画で言うなら『パシリック・リム』との決定的な違いがここにあって、つまりこの映画には愛がない。