もはや習性というものだと思っているのだけれど、当地の農業従事者、男性、40歳以上は押し並べて火を放つことが好きであり、草刈りと野焼きは不可分の関係にあって、いや仮に草刈りがなくとも野焼きは単独で行われうるという点で野焼きの実存は草刈りに先行する。何しろ、その日の朝方まで降った雨があったとして、バナーで濡れた枯れ草を燃やそうと奮闘し一向に諦めることがない様にはある種の強迫性があって、そうした様子は特定の個人に限るものではなく普遍的に観察されるものだから、いったいこの人たちの「動機」は何なのか、とかねて疑問に思っている。
無論のこと、共同体においてこの種の質問は禁忌であり、あからさまに問い質すということはしないのだけれど。
午前中から車山方面に向かう消防車のサイレンが引きも切らず続いていたものの、山の中腹にたなびく白煙はいわゆる春霞というものかと呑気に考えていたのである。午後になるとヘリコプターの音が山間に響き、これはもしかしたら大ごとなのではないかと思えば、Twitterには霧ヶ峰から車山に延焼した山火事の情報があり、ニュースが報じるのは広大な面積の炎上とそのスペクタクルな広角遠景であって、ちょっと『もののけ姫』みたいになっている。そういえば乙事の地もこの近くである。
この事件の発端が諏訪市の行事として行われた山焼きであると聞けば妙に納得できるというのが寄留人の感覚であり、気合をいれてバーナーで着火している様子まで思い浮かぶので全く意外性はないのだけれど、伝統行事が観光化したものだと聞けば、野焼きが習性という見方もあながち誇張ではなくて、部族的記憶に属する一大イベントでれあれば山野を焼き尽くそうとも自粛されることはないであろう。