奥泉光の『東京自叙伝』を読む。もともと奥泉光の小説が好きで、新刊が出ればこれを律儀に読んでいるほうだが、1845年に始まり現代、さらには将来の滅亡の予感まで綿綿と語られる、東京そのものの自叙伝たる本作はほんの数ページから巻を措く能わず。あらゆる事件の原因について「それは私です」と引き受けながら、しかし「成り行き上、仕方ない」と開き直ることを繰り返す語り口は相変わらず絶妙で、感心しつつあっというまにこれを読み終える。近代日本における自我の凝集と拡散を言葉通りのアイディアで描くのだからもとより長大な射程をもつ小説なのだが、311以前の原子力政策を、推進した「空気」の起源に遡って描き得た書きものがそもそも少ないところで、これは滅法面白いのだから大変なことである。