『GODZILLA』を観る。
平成ガメラの第1作となった『ガメラ 大怪獣空中決戦』を観た当時、誰かこれを『ゴジラ』でもやってくれないかなと願望したけれど、しかし1998年のエメリッヒ版『GODZILLA』は激しく期待外れであり、さらに本邦の『FINAL WARS』あたりではやはりこの方向にいってしまうのだなと妙に納得したものである。
今回は『MONSTERS』のギャレス=エドワーズ監督だという話だったから、もとより絵としてはそれなりのものをみせてくれると思っていたし、トレイラーで公開されていた壮大な構図はその期待に応えるものであったけれど、そうはいってもハリウッドの方法がこちらの心情を酌んでくれるとは考えていなかった。新しい『GODZILLA』の物語が徹頭徹尾、平成ガメラの影響下にあって『大怪獣空中決戦』と同様の神話構造を採用してくるなどと、誰が期待できようか。
冒頭、突如襲来し日常を破壊してなお明らかにされない怪異の正体。別の場所で発見された巨大な遺物と謎の痕跡。古代文明の残滓まで求めるのは行き過ぎとして、このあたりは1950年代から活動を続けているらしい国際組織の影によって帳尻が合っている。
浜岡とおぼしき原子力プラントは米国の実質的な支配下で運営され、この日本も微妙にトンデモな印象が拭えないとはいえ、15年後、隔離地域への潜入はほぼ『AKIRA』のイメージに重なって、どうやらこの映画は日本の特撮とアニメの最も濃い部分へのオマージュとして創られている。素晴らしい。
クライマックスにかけて、これは平成ガメラそのものだと万感胸に迫る思いで観ていて、311のイメージをまんまと使っているあたりの倫理観はともかく、その怪獣映画への愛着を疑うことはなかったが、エンドロール直前の一瞬の静寂の使い方に至ってはギャレス=エドワーズそのひとのマニアぶりに感嘆したのである。傑作。