『みずは無間』を読んだ流れで『インターステラー』を再び観る。やたらとスケールの大きな、文字通りインターステラーの物語であるということを除くと、その共通項を述べるのは難しいことだとして。昔、竹本健治が宇宙空間を永遠に落下し続けることほど怖ろしいイメージはないということを書いていたけれど、大いに同感しつつ、しかしそれが映画であれ小説であれ優れたSFにはその落下感覚が内蔵されているのではないかと思うのである。その点において、これらの作品には似たような感触があって余韻を楽しめる感じ。
『インターステラー』の砂塵舞う終末、しかし社会システムはまがりなりにも維持されている世界観はかなり好きなのだけれど、アポロ計画のエピソードはいささかやりすぎの印象があって何ならばそうした世界では劇中に登場するエンデュランス号クラスの技術を維持することは出来まいという気がしていたのだけれど、つまりプランAによる脱出の可能性が限りなく低いと認定された世界では、こうした極端な反知性主義の台頭はあるかも知れないと思い直す。それは現に起きているであろうことゆえ。