ストーカー

『ストーカー』を観る。ストーカーという言葉もつきまといの意味ですっかり定着してしまったけれど、タルコフスキーがこの映画を作った時分はそんな風には使われていなかったのである。地球上に突如現れた「ゾーン」というコンセプトについて、学生のときに『戦闘妖精 雪風』を想起してシビれたものだが、原作はストルガツキー兄弟の『路傍のピクニック』だとして、そのイメージを広めたのはこちらが先だし、いわゆるSFチックな描写を用いていないにもかかわらず後世の作品に与えている影響は計り知れない。
これまたリマスターされた画面で見応えが増している。163分もあって脈絡の難解なソビエト製映画が、退屈でないということだけでも大したものだ。水のモチーフが重要というのはよく言われるけれど、土と火と光もそれに劣らない描き方で、主要な登場人物も3人だけなら画面を構成する要素も削ぎ込まれてテンションに弛みがない。
後世、チェルノブイリを予見したフィルムと言われ、フクシマでも引用されることとなったが、それを許す解釈の多義性こそ名作の所以というものであろう。

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