天才スピヴェット

『天才スピヴェット』を観る。ジャン=ピエール・ジュネらしいつくりの映画だけれど、設定といい語り口といい森見登美彦の『ペンギン・ハイウェイ』を想起させる内容で、公開時の惹句が「泣き方だけが、わからない。」という話である。だいたい、これだけでも泣ける。
主人公の天才少年T=S・スピヴェットは名をテカムセ=スパローといい、理知的で快活でありながら、取り返しのつかない過去の事故で自分を責めており、どこかに陰影をあわせもっている。さまざまなことに興味をもって緑の表紙のノートと赤い表紙のノートに記録していく習慣があり、賢いのだけれど少しく変人として認知されている一方、ひとの心のうちを推し量るには経験を積み重ねるほかない時間帯にいて、そのアンバランスさはアオヤマ君のイメージそのままで、ずっとジュネによる変奏を観ている気がしていたのである。森見作品への偏愛を主な理由として大変、楽しんだ。
『ペンギン・ハイウェイ』については中島哲也あたりを起用して、これと同じようなテイストで映像化するとよいのではなかろうか。

Paddington