『富士山噴火』を読む。基本的に災害小説が好きなので、高嶋哲夫の本も高確率で読むことになる。南海トラフ巨大地震が既に起こった後の日本という設定だけでもご飯三杯はいける感じだけれど、このあたりの導入は2006年の映画『日本沈没』を想起させて既視感をともなう。そのうえ、南海トラフ地震が起きても人の生活が変わった雰囲気はなく、もしかしたらそれは東日本大震災で学習したことなのかもしれないけれど、いささかとってつけたような感じが拭えない。石黒曜の『昼は雲の柱』と似たような題材を扱っているにして蘊蓄は若干薄め。
噴火を扱おうというのに主人公が元ヘリコプターパイロットというのも座りが悪いと思ったのだけれど、そこは『死都日本』に登場したような集塵装置付きのUH-60Jが登場して噴煙下の飛行につじつまを合わせている。一方、かなり最近に実際起きた天災に言及しているわり、ヘリが活躍するのにD-NETの運用に言及がないというあたりは寂しい。JAXAが開発したこの集中管理型消防防災ヘリコプター動態管理システムは、ネタ的にそのまま高嶋哲夫の小説だと思うのである。
欠落が気になるといえば、SNSと原発が不在であるのも、何か考えがあってのことなのか。
大災害の現場において全てを引き受ける特定の主人公に物語を担わせるのは今や無理があって全体に邦画チックな展開となってしまうのだけれど、エピローグは「あのゴジラが、最後の一匹だとは思えない」そのままの締めで、もしかしたらパロディなのかと考えたくらい。