悪の凡庸さ

2030年の発電コストと称する試算が、結局のところ原発のコストは上がったけど他も上がりましたという結果になったのは何故か。このあからさまな結論への誘導をどのようにしたらできるのかというあたりに興味があったので、総合資源エネルギー調査会の配布資料やかなりゆるい感じの議事要旨を読んでみたのだけれど、何のことはない、現時点で廃炉が決まっているもの以外の原子炉について高い率で稼働することや核燃料の100%再処理が実現できることを前提において、前回までの試算ロジックとの整合的な継続性の維持を論点としているのだから、必然としての結論が導かれたに過ぎない。
ホロコーストを実施したアイヒマンが、自らを官僚組織の歯車と定義することで自己弁護を行ったエルサレム裁判をひくまでもなく、ここにあるのはハンナ=アーレントが「悪の凡庸さ」と看破したのと同質の想像力の欠如であり、そのことは容易に非凡な悪を現出させるだろう。