『きっと、星のせいじゃない』の原題の”The fault in our stars”はシェイクスピアの”The fault, dear Brutus, is not in our stars”からきていて、原典のこれは、運命のせいではないと告げたうえで”But in ourselves, that we are underlings.”と続くわけだが、もちろん原題のほうはnotを除いて逆の意味で引用しているのだけれど、邦題はこれをさらに逆転させているのが興味深くていろいろ考えてしまう。
オーディエンスがもとの文脈を知っているという想定なら、作品の内容からしてこの転倒は許されないことになるけれど、そこまでの悪意がないという前提では、何となく前向きな印象すら与えるかもしれない。だがしかし、そこには星のせいじゃないなら何のせいなのか、そもそも何がということを問う知性が期待されていないのではないかと思うのである。