2015年に観た映画のこと

振り返ってみると、2015年は映画館まで足を運ばずに終わってしまいそうである。それをいうなら、たとえば『インターステラー』は昨年のうちに劇場で観ておけばよかった種類の映画なので毎度のことではあるにして。
結局のところ映画はほとんどをDVDで観るし、今年の収穫でも『アリスのままで』や『劇場版 深夜食堂』は飛行機のプログラムで観ていたりするので、それがどんなメディアであってもだいたい楽しめるタチである。

アバウト・タイム

2015年一番の収穫といえば『アバウト・タイム』でいいのではないかと思う。見るからに冴えないイギリス男を主人公としたロマンスで、多くの矛盾をあらかじめ孕んだタイムトラベルものではあるけれど、前向きな語り口だけで暖かい気分になれるし、クライマックスの海辺の散歩のシークエンスには泣く。何といってもビル=ナイの演じる父親は最高であろう。主演のドーナル=グリーソンもよく見ると、今や悪漢風となってしまったポール=ベタニーの若い時分に似て善い人オーラをまとっている。最近では『スターウォーズ/フォースの覚醒』にも出演していて、かなり上がり調子みたい。

シェフ 三ツ星フードトラック始めました

いい話といえば『シェフ 三ツ星フードトラック始めました』を挙げなければならない。ジョン=ファヴローの監督・脚本・主演の本作は、いってしまえばロードムービーとして定型の面白さを外すことなく、料理に関しては実に旨そうに扱って満足感が高い。カリカリに焼き上がったパンを齧る音だけでも腹が減ってくる。定番メニューを批判する批評家に対する主人公シェフ・カール・キャスパーの叫びはジョン=ファヴローの監督としての叫びそのものと穿った読みをする向きもあるけれど、シーンに妙な説得力があるのは確かであろう。

誰よりも狙われた男

年明けて2月にはフィリップ=シーモア・ホフマンが亡くなってから2年になるということなので、時の経過の速さにくらくらする。『誰よりも狙われた男』のギュンター・バッハマンは彼のキャリアの最後にして頂点というべきで、『カポーティ』あたりよりもいい仕事をしていたのではないかという気がする。音楽畑でロックアーティストを中心に撮ってきたというアントン=コルバイン監督の仕事ぶりは『ラスト・ターゲット』に引き続いてのエスピオナージュとなった本作でもしっかりとしたもので、なかなか大したものだと思うのである。

フューリー

『フューリー』は久々のヨーロッパ大戦もので、戦後も70年を過ぎて急速に遠ざかりつつあるこのジャンルで今後どれくらいこうしたレベルの大作が製作されるかわからないけれど、本作についていえばそのハードルを一段引き上げたところがあって、ディテールの厚みには感心した。問題はディテールもドラマも、それが真正であるかは今ひとつ疑わしいところではあるのだが。戦車対戦車戦というテクニカルポイントだけでも評価を高くしてしまうほうである。

アメリカン・スナイパー

85歳になろうというのに、『ジャージー・ボーイズ』に続いて『アメリカン・スナイパー』を送り出したクリント=イーストウッドは現代の賢人のひとりだと思っていて、本作でもその確信は深まるばかり。歴史的評価の定まっていない題材を扱っているにもかかわらず、映画の意図を疑わせないという点では、例えばゾンビ映画みたいなエンドロールをつけてしまう『フューリー』とは一線を画しており、同じ戦争映画でもにじみ出る徳の高さが違うと思うわけである。ハドソン川の奇跡を題材にした次回作が予定されているそうだけれど、楽しみなことである。

ハッピーエンドが書けるまで

ジョシュ=ブーンが自身で脚本を書いた初監督作品『ハッピーエンドが書けるまで』を『きっと、星のせいじゃない』を観た後に遡ってみたのだけれど、数多ある「書けない作家」もののなかでもグレッグ=キニアの行き詰まりにはリアリティがあって、つまり「書きたくない」「書かない」というあたりも窺えて上等なライターズブロック映画になっていたと思う。
ジョシュ=ブーンその人は、『ハッピーエンドが書けるまで』にも声だけ出演したスティーブン=キングの『ザ・スタンド』の一連の映像化で監督を務めることが決まっており、むろんそれが大作になることは今から明らかであって、ハリウッドでも重要なクリエーターになっていきそうな感じ。
2015年も都合160本程度の映画を観て、振り返ってみるとそれなりに収穫もあり、変化には乏しくてもなかなか平和な年だったのではあるまいか。終わりよければすべてよしと世にも言う。