崇拝するゾーイ=カザンが(幾分ひいた様子ながら)ツイートしたNY Timesのコラムを読んで、微妙なところで伊藤計劃の『虐殺器官』を想起してすごくワクワクしたのだけれど、冷静に全文翻訳したらただのノロケと読めてあまり面白くない。
To Fall in Love With Anyone, Do This
逆の意味でロスト・イン・トランスレーションというべきこの状況自体も興味深くはあるのだけれど、恋愛というものが一定の手順に基づいて創出可能であるという文脈に、もとは感銘を受けたのである。その身も蓋もない感じは、ちょっとラマチャンドランの『脳の中の幽霊』を彷彿とさせるではないか。
このエッセイで中心的に触れられているのは、実験の名のもとでの個人的な情報の交換が心理的な障壁を取り除く効果、さらには心理学で言うところの「自己拡大」、つまり他者から自分の長所を引き出してもらうことによる肯定的効果についてで、このあたりは幾分、理に落ちるのだが、より不可解で重要なのは「4分間、お互いの目を覗き込む」という段階の意味合いにあると思われた。しかし、それについては体験的な記述にとどまっており、原理的な考察が十分にされているとは言い難い。しかし、書かれている状況そのものはゲシュタルト崩壊を経た認識の再構成をイメージさせ、当方としてはどうやらこのあたりが初読の琴線に触れたわけである。
私たちは皆、プログラム可能な自動人形である。科学者のクールな想定が示されるとすれば、この4分間のシークエンスの設定理由においてであり、原典を調べてみたいと考えているのだけれど、実際には「なーんだ」ということになる可能性も十分にあるわけで、そうした場合を考えて現在の妄想を記しておくものである。