『セレステ・アンド・ジェシー』を観る。別居したけれど互いに親友というセレステとジェシーの幸福な時は終わり、未練たらたらの夫ジェシーがいよいよ離れていくにあたって妻セレステには寂しい思いが募るというお話。仕事もできるセレステは、ジェシーとはいつまでもbest friendとして楽しく付き合うことができると思っていた、というあたりが前半。設定だけだと、セレステは相当に嫌なオンナということになるけれど、友達のカップルが観客に先んじて「ありえん」という表明をしてくれるので、惨事には至らず、なかなかバランスのとれた脚本ではあるまいかという印象を残している。
中盤、セレステが新しい恋を求めてデートを繰り返すあたりはダレるけれど、前髪をつくったラシダ=ジョーンズはこの役柄によく似合っているし、クライマックスにかけてやさぐれていく感じは悪くない。
やり手のセレステが人生をコントロールしようとして、ひとりでIKEAの家具を組み立てることすら出来ず、現実に復讐される話と意地悪くみることもできるし、ジェシーがその存在をかけてリベンジを果たしたと考えるとちょっと怖いようでもあるのだけれど、少なくとも表面的にそういう語りにはなっていない。男がいたところでIKEAの家具は組み立てられないというくだりは重要だし、たとえば『(500)日のサマー』とは違い女性視点であることからも、引き出される教訓はだいぶ異なってはいる。その実、男女の間に横たわる暗くて深い河の存在は放置されたままというのは意図的なものなのか。性別がつきにくい名前を採用している意図を汲んで、男女の立場を入れ替えてみると話はかなり陳腐なものになりそうである。
何やら怪しい生業の友達役で出演しているウィル=マコーマックと、ヒロインのラシダ=ジョーンズが共同で脚本を書いていて、この二人は完結したはずの『トイストーリー』に、新たに4作目を作ることになった脚本をものにしたという話でなかなか活躍しているみたい。本作も、ままならない大人の事情が、なるようにしかならないところに落ちていくのをきちんと扱っているあたりに好感がもて、普通のロマンスとはちょっと異なる間合いをもっている。