君の名は。

句点が付いている今どきの『君の名は。』を観る。午前中、1回目の上映にしては客の入りも良く、今年の東宝は絶好調のようで何より。新海誠の作品はそれなりに観ている方だと思うけれど、監督のあらゆる要素が入っていて、しかしそれだけではなく、本作については現時点での最高傑作であろうという意見に積極的に同意するものである。面白い。
だいたいストーリークロスオーバーは好きな方だけれど、開巻近く『言の葉の庭』の雪野先生が古典の授業で「誰そ彼」の説明をしていて嬉しくなってしまう。
もとより、大林宣彦的な入れ替わりものとは違うだろうと思っていたけれど、お約束を踏みつつ、ファーストコンタクトを後日視点にしていることに始まり、前半における物語の支度は概ね洗練された展開であらかじめ懸念されるほど気恥ずかしいものではなく、それをいうならベタなオープニングタイトルそのものがある種のトリックになっていて、いろいろ感心するところが多い。
そして『シン・ゴジラ』に引き続き、こちらも3.11の記憶をもつ映画であり、敢えていうならその忘却にも射程があって、1953年から1954年にかけて『ゴジラ』と『君の名は』が同時期のスクリーンでヒットとなっていたこととの共通性には思いを致さざるを得ない。偶然であることは間違いないにして、いわゆる意味のある偶然の一致であることもまた間違いないだろうと思うのである。
だいたい、歳のいった人間がボーイミーツガールにおいそれと感動するものではないが、サイレンと防災放送のシーンは何かしら心を揺さぶるものがあって、5年の間に沈殿して気づかなかったものの作用に当人もびっくりしたのである。平たく言うと、おそらく泣きどころではないにもかかわらず涙した。
舞台は飛騨ということになっているけれど、飛騨周辺の湖はダム湖が多いこともあって、糸守湖のような風景を探すことは難しいのではあるまいか。もちろんカルデラ湖ではないにして、遠景は少し諏訪湖を思わせるところがあるのも地元民には見どころとなっている。宮水神社が龍を奉じているのも諏訪大社に似て。
そして上白石萌音と神木隆之介は非常にレベルの高い仕事をしていて、これにも感心した。既にベテランというべき神木くんはともかく、上白石萌音は重要な役者になっていくのではないか。