『逃げ恥』のオールアップを経て、最終回について触れられているいくつかのコメントをみるかぎり、原作の方向に沿って非常に満足感の高い内容になっているみたいなので楽しみでしかない。
本作については連載がラス前で、その最終回もカーテンコールっぽいオールスターのエピソードになるという話からすると、原作の結論は『KISS』最新号の第42話『勝って兜の緒を締めよ』でほぼ出尽くしているとはいえ、ドラマの視聴者をあらかた説得しようという話法は原作とはまた違うものが必要になるだろうし、それを正味58分で行うのだから難題には違いないのである。とはいえ、原作が完結しておらず別の意味で閉じ方が難しかったはずの『重版出来!』に大団円を持ち込んだ脚本の野木亜紀子の手腕は信頼できる。
10話のキーワードは無論のこと黒板に大文字で書かれた「搾取」であり、マルクスが広く使ったほどにも広い意味での「搾取」なので、みくりと平匡の間に生じてしまったこの議論を最終話で決着させるのは、ほとんど決別しかあり得ないのではないかと思ったりもするのだけれど、実はあまり心配していない。
マルクスは労働者が資本家に食いものにされる現実について搾取といい、それが「やりがい」や「愛情」についてだったとしても不当な掠め取りを批判する強い言葉ではあるけれど、「労働の対価に満足している幸福な労働者」と資本家の関係にさえ剰余労働の搾取は必ず生じるという点からすると、単にブラックな経営者を非難する言葉ではない。「雇用主」と「従業員」の関係において必然的に搾取が生じるのであれば、これを解消するには関係を再定義する以外にないのだから話の向きは決まっている。
原作ではここまでのパワーワードは使われていないので、ややもすると「あれ、そういう結論になっちゃった?」という感じがあるのだけれど、クライマックスにこの言葉を投入してきたドラマ脚本のセンスはやはり端倪すべからざるものがある。振り幅が大きいほど、カタルシスもまた大きい以上は。
誰からも必要とされないと感じていた人たちが出会い、愛されたいと願って、ついにただ愛す、意志をもって、という階梯に到達するプロセスは全話を通じてかなり明示的に描かれてきたけれど、同じ位相での、まず自らを差し出して営む生活があって、そこには契約も労働と貨幣の交換もないという結論をどのように呑み込ませるか、「契約結婚」という強烈な言葉に囚われた観客の憑き物落としをどのように行うのか、やはり楽しみで仕方がない。