『マツコ』から『逃げ恥』というお気に入りのコースも今日限り。「スーパー銭湯の世界」に登場したサウニスト集団の絶妙のユニット感に感心しつつ、正座して『逃げ恥』最終回の開始を待つ。
その最終回は、これまで物語を駆動してきた動機を解体し、その呪いを解いた上で祝祭的に再構築するという王道の展開で、期待値はやっぱり上回ってきたということでいいと思う。さすが。
前回の最後、平匡が「みくりさんと出会って変わったんです」と言いながら、第1話と同じ手法のプレゼンを持ち出して、第7話で自分がしたのと同様の拒絶を食らった経緯を踏まえつつ、しかし取り返しがつかない悔恨があっても生活は続いているところから話は始まる。みくりが説明した「もやもや」の分析を平匡が引き取って解決策を提案し、これにみくりが即応するという、構図としてはやはり第1話の反復で話が転がり始める冒頭は、つまり前話の結末のやり直しで、やっぱりうまい。アイディアは原作の通りだけれど、「雇用主」と「従業員」の関係をあっさり解体して見せた手際はどうだ。
それよりも感心したのは中盤、百合さんの「そんな恐ろしい呪いからは、さっさと逃げてしまいなさい」というセリフからの一転で、それぞれの呪縛が一斉に開放に向かう契機として構成されており、これまたすごく気持ちがいい。はじめから典型的なキャリアウーマンとして描かれ、結局はそれもあって処女で独身で、自ら頑なになっているとも語る百合さんが、挑発に応じて世界を変える真理を口走るというこの場面は、原作にもあるにして、ドラマではより劇的な効果があって、このひとにはやっぱり魔女属性も与えられていると思ったのである。
ロールモデルといえば、みくりのモノローグのなかで初めて「なりたい自分」が語られたのだけれど、同時にそれは「認めて欲しい」がための自分であり、つまりこれもまた無自覚の呪縛であることが一気に説明される。ときどき突拍子もないことを言うこの風変わりな女性もまた、ロールモデルの呪縛にとらわれていることが知れる場面で、観客はその無自覚の涙に涙するという、ここも見どころ。
こうしたセットアップを経て、平匡さんには「なりたい自分」の呪縛を解き、さらには全編のキーワードでもある「小賢しさ」の呪縛をも解き放つ役割が与えられるのだから、やっぱり凡百の王子様ではないのである。ここにきて意外に素直でなく実は感情を表現するのも苦手ということが判明しているみくりが「ありがとう」「大好き」と真情を発露する流れもよく出来ていてすき。もちろん、ここは全編のクライマックスであり、平匡が「思わず」キスをした6話の電車のシーンとの呼応にもなっていて素晴らしい。
ドラマオリジナルで重要な象徴となっているツガイのジュウシマツは、最終話に至って鳥カゴの鳥となって、ペロとペロ子という命名はともかく、つまり幸せの青い鳥は我が家の窓にいたということなのだけれど、魔女と並んで、このあたりも童話をベースにした神話類型が意図的に埋め込まれていると感じる所以。「ジュウシマツは自然に生きていくことは難しい」から、生き抜くために鳥カゴを選ぶし、その世話は面倒だけど、それこそが生活だというわかりやすいメッセージでもあって悪くない。いきなり鳥カゴに収まっているのが唐突とはいえ、尺足らずで捕獲のシーンがカットされたという脚本家のツイートがあって、15分拡大では足りなかったのが実に惜しい。どのような文脈でその場面が挟み込まれるのか不思議といえば不思議なので、これはオリジナルを見てみたい。
そして梅原くんのエピソードにもやられた感じ。野木亜紀子というひとは、映像的に説明してきた文脈を素知らぬ顔でひっくり返す手腕に秀でていて、ちょっとガイ=リッチーみたいな遡りによる種明かしのシークエンスは10話にもあったけれど、最終局面での梅原くんは「みんな違ってみんないい」というテーマに寄り添い、祝祭の雰囲気にひと役買っていて、これまたよかった。こちらとしては「生きて、会えるんだから」の真意が語られることはないと思っていたのである。
クライマックスの楽しさはいろいろあったけれど、ロールモデルという鎧に、実は自ら囚われていた百合さんが「え、いきなり!?」のセリフで平匡さんと二重写しになったあたりも楽しい。ありたい自分の呪いと自尊感情の呪いは実は同質のトゲであって、我々は誰もそれに囚われている。
当方にとって本作は、脚本のつくりが大好物であるのは間違いないのだけれど、iTunesでもヘビーローテーションになっているサウンドトラックとか、ガジェット満載のセットとか、油性ペンが「マッキー」ならぬ「ガッキー」になっている美術とか、ディテールのヨロコビも重要で、何より、時に深刻で、本当に楽しそうな役者の仕事がなければ、これほどヤラれてしまうことはなかったに違いない。これ演技じゃないでしょというシーンは特に後半いろいろあったけれど、ラストのハグで思わず漏れた笑いもそうで、この幸福感は尊い。峠田Pのブログによれば最後の撮影は挙式の場面だったようだけれど、テレビ屋として是非このカットを押さえておきたいというヨコシマな気持ちがあったとしても驚かない。
話題のシーズン2は、物語の構造からしてありえないと思うけれど、原作にも百合さんと風見さんの番外編がつくという話なので、それをベースにしたスピンオフは十分あり得るのではあるまいか。むしろ作らないはずはないと思うのだけど、どうだろう。