『真田丸』第51回にはやられた。安居神社の顛末を越えて、真田信繁の物語は続く。
そして『逃げ恥』の第12話。これまでの経緯を収拾して大団円となった11話の続き、どういう展開がありうるのかと考えていたのだけれど、いわゆる後日譚だけでなく、これまでの物語を別視点で遡り語り直しながら、わずかに残っていた謎と違和感まで解消していて、なるほどと思ったことである。
第11話で使われた『真田丸』のパロディではシブサワ・コウ監修による『信長の野望』風の3D戦況図も再現されていたけれど、「津崎家 津崎平匡」の陣に対して、「森山家 森山みくり」ではなく「津崎家 津崎みくり」というキャプションが使われており、この時点では事実婚として別姓であったはずの二人が同姓という、ちょっとしたGoofsになっていた。結局のところ、波乱もなく入籍ということで、これは原作もそうだから違和感もないけれど、事後的に手違いを回収する流れでちょっと珍しい。
同じく11話の303カンパニー第一次経営責任者会議では平匡さんが「役員報酬は今の半分」という言葉を使っていて、それは303カンパニーでの話で言葉の綾だろうと思っていたのだけれど、転職先の株式会社リンクロングでは開発担当の役員ということになっていたので、これには驚いた。会社の仕事においても従業員から経営者への転身というわけで、仕事をひとつのテーマとしてきたこのドラマにおいて、仕事のあり方を作る側に身を移す展開で、なるほどと思う一方、津崎平匡に課されることになる役割の大きさには同情を禁じ得ない。これまで、自らも呪縛に囚われ、しかし最後にはヒロインにかけられた多重の呪いまでも解くことになる物語上の王子様であったこのひとは、その成長の結果として、より広い社会の呪縛を解く役割が与えられることになる。王として。
だがしかし、円満で互いが協力的な家庭生活との両立は可能なのであろうか。第1話と同様、平匡さんの有能さを説明する危機管理対応のエピソードは安心材料になるし、新しいマンションには、これまでペッパーくんやロボホンが登場したからには当然あってしかるべきと思っていた自律型掃除機がやっぱり投入されていたけれど、そんなガジェットで乗り切ることができるかどうか。ちなみにそれがルンバではなく、ダイソンの360 eyeだったのは、さすがこだわりの美術というほかない。そして平匡さんはこれまでとちょっと雰囲気を変えて、MHLの服を着ていたみたいだけど、どうだろう。
第9話で平匡さんと風見さんが訪問し、ポジモン五十嵐の勤め先でもある平匡さんの新たな職場、株式会社リンクロングの社長は「できる男です。チャレンジ精神旺盛で」と評されていたけれど、この社長が安住紳一郎というキャスティングは、第10話エンディングへの安住アナの唐突な登場の上塗りで、物語上のツジツマを合わせた格好。それにしても、那須田Pや峠田Pはアナウンス部にどれだけ借りを作って番組のプロモーションを推し進めたのか。確かに、最終局面ではTBS系列の総力を挙げてという感じだったけど、そこに至るまで投じられたドラマ制作陣の政治的資源もひとかたならぬものがあったと思うのである。勢いをみながら全戦力を投入できる現場であれば、今後も素晴らしい作品を生み出すに違いない。
そしてどうやらリンクロングは成長著しい会社なので、業界の常として、開発からも撤退し今や成長シナリオを喪失した3Iシステムソリューションズの吸収合併というのも今後ありそうで、主要メンバーの再合流も考えられる。
そうしたささやかな後日譚はともかく、10話と同じく種明かしの遡りの手法で、これまでの百合さんの思いが語られた本筋は例によって見事な構成となっていた。『逃げ恥』の最大の謎、みくりを就活恐怖症と看破し、ポジモンにかけられた呪いを一目で見抜くほど鋭い百合さんが、怪しい怪しいと思いつつ、なぜ契約結婚の経緯に気づかないかという問いについて、結局のところ、百合さんは気づいていたという語り直しが行われる流れは秀逸。第6話の「みくりさんの休暇願ですか」という平匡の失言が失言とならなかった場面も腑に落ちる。
全編で初めて、ただひとつ入れられた百合さんのモノローグは、みくりの「わしたちを縛る全てのものから。目に見えない小さな痛みから。いつの日か解き放たれて。時に泣いても、笑っていけますように」という祈りに匹敵するヤマ場。8話の「私にとっては大したことじゃありませんでした」のリフレインとなる11話の平匡のセリフにも似た深い呼応の美しさがあって、やっぱり泣く。百合さんとみくりが同じく善き魔女の系譜にあるのだなと納得したのである。この場面近くで描かれる月が、第8話と同様、時系列では新月期であるにもかかわらず満月となっているのだけど、心象風景あるいは妄想であることが今回は明示されており、これもGoofと思われた箇所を回収する展開。
そして何巡目だろうと、このHappily ever afterは尊い。ロングバージョンのエンディングを経て、あと一回、今年は紅白の『恋』で締めればもういいかな、と踏ん切りもついた。どうしてこれほど語りたくなるのかは、それが構造と表現が優れた物語であるからに他ならず、2016年の秋から年末にかけて素晴らしく楽しむことが出来たことには、やはり全ての作り手への感謝しかない。ダンケ。