究理

学問をそだてるには、土地に自由さがなければならない。司馬遼太郎は緒方洪庵の言葉としてそういう文章を書いたけれど、拝金の原理に従って自由を売り渡そうというのがこの国の現在であり、経済で徒党を組む輩が大学教育のあり方にまで口を出そうという、底に透けている志の低さが反吐がでるほどに嫌いである。何から何まで低脳が幅を利かせているのを、考えてみればどの時代の文筆も嘆ずるものと思わねばまったくやってらんない。