いかに私学のこととはいえ、性別を理由に入学条件を歪めようということが許されるとは思わない。このような社会の実相をみるにつけ、心残りがあるとすれば、我が娘には頑張れば報われるという楽観的な世界観しか伝えられなかったのではないかということである。ほとんど骨絡みの性差別が行われている社会だと知っているにもかかわらず、今日よりは明日がよくなると迂闊にも思い込み、基本的人権の尊重や学問の自由が、少なくとも希求されている社会だと考えていたからには。
内田樹氏は子別れにあたって「sauve qui peut」という言葉を贈ったそうだけれど、生き延びることができる者はあらゆる手を尽くして生き延びよという、沈没あるいは前線崩壊にあたってのこの最後の指示は、今や先見の明があるひとでなくともやけに身に沁みる。そう見送るこちらの不甲斐なさにはまったく申し訳なさしかないけれど、しかしそれでも、世界は今日も美しいと思ってもらいたいと願わずにはおられぬ。