帰ろう

福豆のことを考えると暖かくなる。四人の兄弟のなかでは一番大きくて控えめ、我慢強いけれど、群れのリーダーとしての挟持を崩さず、少し頑固に映るときもあるけれど優しい。優しい。

一週間入院しても体調が悪くなった原因はよくわからず、薬を変えたその日はとても調子が悪くなって、病院の、上から二番目のケージのなかに横たわっていた。そこで死んでしまうのではないかと思ったけれど、しばらくしてやおら立ち上がったときの踏みしめるような四肢の姿はいっそ神々しく、跪いたこちらを睥睨して「帰るぞ」と言ったような気がした。古代のひとたちが、四肢の生きものを神の使いと見立てたことさえ、その気持がわかると思う。

だから退院してさいごの二週間を家で過ごしたことは後悔していない。

前の週末、最後の散歩をした。リードをつけずに歩いたことはそれまでなかったことに思い至ってそのことが切なくなったけれど、歩みはいつもと変わらなくて、そういえばリードなんかはじめからないみたいにひとりで行くのが福豆なのだ。11年間、幾度となく歩いた散歩コースを遠くまで行って、ゆるやかな坂道を抱えて戻ってくるとき、ずっとその名前を呼んでいた。この地ではまだ少し遠い春を先取りしたような暖かな日暮れどきで、残酷な自然にも心の底から感謝したくなる瞬間がある。

僕たちはみんな同じ下りの船に乗っている。遅かれ早かれ、また会おう。その時はまた一緒に散歩しよう。