もちろん『いだてん』を観る。朝霞で計画されていた選手村を代々木のワシントンハイツに変更するための政治工作が、公共の私物化とは反対の、個人の熱意の公共化という構造をもって描かれるあたり、立ち上がってくる現状批判の文脈はそれだけで見事だけれど、東京で計画されていたマラソンが札幌に開催地変更となったリアルタイムの事情を踏まえれば、シンクロの具合はほとんど神がかっていると感心せざるを得ない。
朝霞での埼玉オリンピックが実現することはなかったが、もちろん今度こそ札幌オリンピックと呼ぶべき状況でそこに見て見ぬふりを決め込むあたり、どうやら日本の東京化はこの50年でもだいぶ進んだようである。
嘉納治五郎が降臨するという自在なストーリー展開も異色というべきだが、何しろ『東京流れ者』という副題がついている回としてはこれでもおとなしい。